ピアノ色のメガネ

先週、300年後の調律師からメールが届いた。

それによると

20世紀を代表する“ジャズ”という音楽がはやっていて

是非君達の時代のオリジナルピアノを送ってくれないか

ということだった。

 

早速ショールームで何年も同じ景色をぼんやりと見つめていた

数台のピアノを調整し梱包した。

440Hzの平均律で調律しといてくれ、と書き添えてあったので

『他にやりようはなかんべ』と一人ごちながら

チューニングハンマーを握った。

 

タイムトラベル宅急便にきてもらって

ピアノって重くて嫌なのよね、という目で

営業スマイルをしているあんちゃん達に運送を頼んだ。

翌日到着するそうだ。

(300年後の世界に翌日届くということは、どういう意味なのか…)

 

 

それから、しばらくして同じ調律師から

今450年後に出張しているんだが

こっちではバロック音楽というのが流行っていて

ついてはチェンバロを送ってくれないか

というメールが届いた。

 

オイラは『そんなのは300年前の楽器製作家に直接頼んでくんろ』

と返事したが

どうやらバロック時代にコンピューターは無いらしく

アクセスできない、とのことだった。

 

しかたなくチェンバロを購入してビビってしまった!

5オクターブくらいしかない二段鍵盤のチェンバロが

なんと300万円以上もするのだ。

おまけに、新品のくせに半音もピッチが下がっており

イッキに上げたら弦がバスバス切れてしまった!

特に低音の弦がバスバス切れてしまった(…orz)

 

頭にきて、製作家にクレームの電話をしたら、失笑され

「そりゃアナタ、ピアノ色のメガネを外さなきゃ

 本当のピアノは見えてこないよ」

と訳のわからんことまで言われてしまった。

オイラはムキになって、

視力は2.0でメガネなど掛けとらんぞ!と切り返すと

受話器から断続的な電子音だけが虚しく響いてきた。

 

このいきさつを300年後の調律師に伝えると

次のような返事が来た。

 

メールをありがとう。

どうやら迷惑をかけてしまったようで失敬失敬。

でも、その楽器製作家の言わんとしていることは

よく分かる気がするな。

 

はネットで“ピアノ色のメガネ”という語を検索したら

このようなことが紹介されていたんだ。

この言葉は20世紀の終わりに登場したらしく

ピアノとその周辺に憂慮する調律師が使い始めたらしい。

 

どうやら君達20世紀のピアノは、モダンピアノと呼ばれていて

楽器の王様として世界的に普及しているらしいね。

だから、チェンバロやオルガン等の他の鍵盤楽器に携わる時

ピアノを中心にしてものを考えてしまい

その結果ピアノの本質が見えなくなってしまった状態を

ピアノ色のメガネを掛けている、というらしい。

 

例えば、君がビビっていた値段のことだが

チェンバロやオルガンが高いのでなく

ピアノが安過ぎると思ったことはあるかい?

ピアノは家庭に入る楽器の中で最も部品が多く

複雑な仕組みで手間がかかっているよね?

フルートやヴァイオリンなんて

もっとシンプルな構造で材料費も安いのに

平気で100万を超えるものがある。

その違いは、機械で量産するか、手造りかという差だけであって

大きさとか材料費なんて関係ないんだよ。

 

そもそも、お金ってやつは、全て人件費であって

物には一銭も支払われてはいないんだよね。

 

だって、ピアノの木材や金属を取ってくるのに

地球にお金を払う奴はいないだろう?

木材の値段は、木を切った人や運んだり加工した人達に

支払われている賃金であって、山に支払う訳じゃない。

だから、ピアノのようにとてつもなく複雑な楽器でも

機械が造れば人件費がかからないから安く出来て

楽器全体の中では、ある意味最も安い楽器になってしまったんだ。

 

これは悪いことではないけれど

ピアノを値段の基準にしてしまうと

他の楽器が全部高く思えてしまうし

その結果、職人による仕事というのが

認められなくなってしまう危険があるように思えるんだ。

 

重量とか音域も、ピアノは楽器の中では、すこぶる特殊で

チェンバロが軽くて音域が狭いのでなく、ピアノがデカ過ぎるんだ。

他の旋律楽器なんかと比べてみてもピアノだけが異常なんだけど

ピアノしか知らない人にとっては

ピアノ以外が異常に思えてしまうらしいんだ。

これも、ピアノ色のメガネに気付いてない証拠かもしれないな。

 

それに何より、君や僕のように調律師の存在が

ピアノでは当たり前になっていること自体が

意外に重要な盲点なんだよね。

ピアノ以外の楽器は、みんな演奏者自身が調律しているのに

ピアノは調律が大変で、調律が長持ちするから

演奏者とは別の技術者の存在が成立しているんだ。

ピアノが抱えてしまった限界というのは

意外にこの辺りにあるのかも知れないね。

 

ちなみに、こっちの300年後の世界では

モダンピアノや平均律は、19世紀後半から20世紀の

アメリカ文化の響きとしてジャズにしか使われていないし

21世紀の初めに発明された鍵盤弦楽器も

そろそろ終焉を迎えようとしている。

ある学者は、鍵盤楽器は300年周期で新しい発明がされていて

それは社会体制の変遷に準じており

その結果として音楽の展開が可能になってきた、と言っている。

 

もし、クリストフォリがチェンバロ色のメガネを外せなかったら

ピアノが誕生しなかったように

君達の時代の技術者も、ピアノ色のメガネを外して

ピアノの限界と可能性と向き合わなければいけない時期が

来ているのかも知れないね。

 

今回は君の便りをきっかけに、いろいろ調べてみて

いい勉強が出来たよ。 どうもありがと!

せば、バイバイキーン!

 

 

へぇ、そんなもんかね。なんだか解せねえな。

確かにピアノ一台の張力で、

象さんを4頭も引っぱり上げられるんだと聞いた時には

バケモンだと思ったけどな。

でもやっぱメンテ屋なんちゅうもんは、他の楽器なんて関係ないし

ピアノのことだけ何とか出来ればええんとちゃうかな。

 

出会ったピアノの可能性を最大限に引き出せれば、いい仕事なのだ

とオイラの師匠はいつも言っていたしな。

どんなに状態の悪いピアノに出会っても、ピアノに罪は無く

造ったり管理する“人間”のやったことなのだから

人間の責任は人間がとらねばならぬ、と よく叱られたものだ。

 

いやいや、でもチト待てよ。

この21世紀初めに発明された新しい鍵盤楽器ってなんだ?

この構造をオイラが教えてもらえば

第2のクリストフォリになれるのか?

ウーム、我ながら己の賢さが怖いぜ、フッフッフ。

というわけで、慌てて『教えてちょんまげ』

とメールを送ると、次のような返事が来た。

 

そうか、オメガのことを知らないのか。

オメガ・クラヴィスは、21世紀に入って間もなく

東洋人によって発明された鍵盤擦弦楽器のことで

ピアノの抱えていた幾つかの限界を超えることが出来たんだ。

 

例えば、平均律で調律するのに

演奏途中で自由に音程を変化させられるから純正調が可能だし

音の長さや大きさを自由にコントロールできるから

まるで旋律楽器の集合のようなオーケストレーションが可能なんだ。

アクションはシンプルで、弦の振動を直接指で感じながら

ビブラートをかけることも出来るんだ。

 

人間の耳は、人間の声の大きさや音域が

最も心地良いらしいという理論から

楽器の音域と音量は必要以上に大きなものは造られていない。

まあ、録音したものを送るから聞いてみてくれ。

もし、写真や図面なんかが欲しければ送るから

遠慮なく言ってくれ! ほんじゃバイナラ!

 

 

間もなく送られてきた図面を見てびっくり!

実にシンプルな構造で、どうやらオイラにも造れそうである。

ウーム、こりゃいわゆるひとつの

ハッスルモードでメイクミラクルですね。

そして、録音物の楽器解説を読んで、もっとびっくり!

なっなんと、発明者の名前はオイラになっているのだ!

そうか、この図面を元に拵えれば

次の300年はオメガの時代がやってくるのだ!

やったぜカアチャン!明日はホームランだ!

 

そして、ふと別の疑念が生じた。

もしかして、クリストフォリも未来人から

図面をもらったんじゃないかしらん…

なんてオバカな空想に浸っていると、突然天から声が聞こえた。

オイラの名を呼んでいる!

ハハー あなたはさまはゼウス様でせうか、仏様でせうか…

オモムロに頭を上げ、声のする天をジっと見上げていると

ボンヤリと意識が遠ざかってゆく…

ウーあの世に逝ってしまうー たちけておくんなまし…

 

 

家人が夕餉の準備が出来たと起こしにきた。

どれくらい眠っていたのだろう。

目をしばたいてみると、書斎はすっかり冬の重たい闇に包まれており

読みかけの本が机の端で不気味に沈黙している。

どうやら老眼鏡をかけたまま眠っていたらしい。

なんだか夢を見ていたようだが、この歳になると

うまく思い出すことができず、もどかしくなる。

 

老眼鏡を外して、ゆっくりと居間へ降りていくと

何故か娘の弾くピアノが、いつもと違って見えた。

食卓へ面倒くさそうにつくと、そうだ明日は休みじゃけん

久しぶりに日曜大工でもやってみすか、と一人ごちる。

何か、という顔をして家人がキッチンから振り向いたので

いつものように不機嫌なフリをする。

まるでそれを見透かしたかのように、陰険にこちらを蔑笑しているパソコンには

知らぬ名の男からメールが届いていた。

 

 

[著者後記]

実は私が楽器を造る目的のひとつに

この鍵盤擦弦楽器の発明があります。

構想はすでに練り上がっているのですが

それまでにオルガン以外の鍵盤楽器を

一通り製作してから臨もうと考えています。

今のペースでいくと、いつになることやら…

 

 

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

10/31 動画#73

         「ペンタの大冒険⑱

10/ 1 作曲#115

        「コンダーラ

9/ 3 作曲#114

       「茄子の慟哭

8/20 作曲#113

        「らむね

8/18 動画#72

        「ペンタの大冒険⑰

7/29 作曲#112

        「光合成

6/19 作曲#111

       「??(ハテナッシモ)

6/ 2 作曲#110

       「フェルマータ

5/22 動画#71

        「ペンタの大冒険⑯

5/10 作曲#109

        「震弦地

5/ 9 動画 #70

      「ペンタの大冒険⑮

4/27 録音 #80

        「La Sprezzatura

4/ 3 作曲#108

       「細胞分裂

3/ 4 作曲#107

       「ハレ男

2/10 作曲#106

        「花売娘

1/17 動画#68

       「ペンタの大冒険⑭

1/11 アルバム

   「704

1/ 8 作曲#105

      「ソナチネ