ネクタイをしめて ③

池袋駅で 電車を降りると ムっとした 夏の淀んだ温度

頭にインプットした 地図を頼りに

葬儀場へと なんとなく 方向を定めながら 歩きだす

 

まるで 静寂の隙間という獲物を 見逃さないかのように

それぞれの店舗から 洪水のような音が 野獣のように放たれる

口も目も 塞げるのに 何故 鼻と耳は 塞げないのだろう・・・

 

恩師の訃報は 当時の同級生と 後輩から メールで届いた

そして 御通夜と告別式の日程も 続々と追加メールで 送られてきた

普段 無沙汰ばかりしている杣は 心から 感謝した

 

式場へ着くと 幾つかの懐かしい顔に 出会って

とりあえず 簡単に挨拶を交わす

自分は うまく笑えてるのだろうか

 

着席して 顔を正面に向けると

そこには やわらかく笑った 恩師の写真があった

最初に会ったのは もう20年も前のことなんだ・・・

 

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調律学校で 恩師は 週に2回 学科と実技を担当してくれた

浜松出身で 遠州弁が どことなくコッケイで

ヒョウヒョウと そして 時にはズバっと 指導してくれた

 

「せんだって うちの娘が・・・」

彼の授業は まず 娘の自慢話から 始まった

時々 「せんだって うちのボウズが・・・」 息子の自慢話も加わった

 

父親と同じ 鉄道員になりたくて 学生時代に努力していたものの

採用試験の時に 色盲だと診断され その夢は あえなく閉ざされてしまった

くさっていた頃 親戚から 「調律師をやらないか?」 と 誘われたという

 

アポロというブランドを持つ 東洋ピアノに入社し

先輩の技術を 盗んでは 夜遅くまで 工場に残り

友人と共に 調律の練習に励んだものだ と 話してくれた

 

なので 日本ピアノ調律師協会の試験に 合格した時

彼は とても嬉しかったと 本当に嬉しそうに 話してくれた

あの 人なつっこい恩師の笑顔は 今でも鮮明に覚えている

 

杣の 学生時代の先生とは みな ピアノ製作の現場で 鍛えてきた

現代のように 調律の学校なんて無い時代

調律師は 工場で 見よう見まねで 調律を勉強したという

 

杣が 卒業後の進路に 真っ先に ピアノ製作の現場を選んだのも

そんな 彼らの影響だった

メンテをする楽器の 製作を経験しなくては こいつらを超えられない

・・・そんな 生意気な気概だけで生きていた ・・・杣も若かった

 

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調律学校では 秋になると 1泊2日の 研修旅行があった

杣の時代は 2回とも 浜松の工場見学だった

 

なぜ そうなったのか そのイキサツは覚えて無いのだが

2年生の研修旅行の時 

杣と 恩師は 途中から 団体とは別行動で 二人で移動した

 

たぶん 杣が大橋ピアノに内定していて その挨拶に

恩師が 一緒に行ってくれた ・・・とかいうものだったのだろうが

宿に向かう前に 恩師は突然 「僕の実家に寄っていこう」と 杣を誘った

 

恩師の実家では 恩師の人柄を 簡単に理解できてしまう親御さんに会い

「僕は 自慢できるものは ナニも無いが 親だけは自慢できる」と

親の面前で 得意になって 話してくれた

 

素敵だと思った 

 

杣も 全く同じ自慢しかなく

しかし 彼のように 親の前で言えるほどの勇気もなく

だから 素敵な人だなーと 心から思ったのを 覚えている

 

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焼香が済むと 集った喪服の集団は 座敷に案内され

両隣に 恩師の友人という 年配の調律師に挟まれ

寿司やら ビールを すすめられた

 

ネクタイを締めると 背筋が伸びて ちょっとシャンとなる

杣は 正座をして 恩師の友人から 杯を受け 酌をした

正座した 正面の壁には また 恩師の笑顔の写真があった

 

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

7/17 動画

音の影

7/15 作曲

テノヒラ未来

3/ 26 動画

冬の終わり

2/ 4 作曲

獏飼い注意

1/24 作曲

ゆらゆら

1/12 動画

自我持参