工具はみんな知っている

屋根が閉じられる。いつもと違う闇の中で、ログは悔しそうにつぶやいた。

(ちぇっ、また置いてけぼりだよ)

ログにとって、お客さんのピアノの中に取り残されるのは

これが初めてではなかった。過去にも2回ほど置き去りにされ

そのうち1回は、1年も忘れ去られたままピアノの中で過ごしたこともある。

 

1年ぶりにログのことを見つけた調律屋は

「あーこんなとこに忘れてきたのか」と笑いながら救出してくれたが

怒りやら悲しみやらやりきれない思いを味わったものである。

その時には、すでに後輩の新しいフェルトウェッジがスタメンとして活躍しており

ログは一応工具カバンに入っているものの、出番は少なくなってしまった。

もっとも、かくいうログも、先輩のフェルトウェッジがどこかに置き去りにされ

その代理で晴れてスタメン入りを果たしたので

この調律屋の忘却力を恨むこともできなかった。

その先輩ウェッジとは、いまだに再会していない。

 

 

工具カバンの中では、よくメンバーが入れ替わり、様々な噂が飛び交っている。

「この前なんかさ、ロングミュートのリュウが1年も置き去りにされたらしいぜ」

「でも、よくロングミュートしたままで、お客さんが気づかなかったよな」

「なんでも、1年後にロングミュートを発見した調律屋は、作業を終わらせてから

 お客さんに、とてもよく鳴るようにしておきましたよ

 とか誇らしげに説明していたらしいぜ」

「そりゃ、ロングミュート外せば、明らかに違うもんな」

「この調律屋、アルツハイマーじゃないのか?」

「いや、そんな立派な病名はカッコ良すぎるだろ。

 ただのおっちょこちょいのスットコドッコイってなもんだよ」

「まーいわゆるひとつのアンポンタンだよな」

「しかし、アルツハイマー博士も可哀想なもんだよな。

 偉い学者さんなのに、病名に自分の名前をつけたばっかりに

 ボケの代名詞になっちまったもんな。

 この病気を発見したのが、仮に多米さんだったらよ

 ボケてきた奴指差しながら、あいつもとうとう多米入ったな

 かなんか言われるわけじゃん」

 

(一同爆笑)

 

「しかしなんだよな。置き去りにされて一番困るのは

 そのピアノに文句言われることだよな」

「そうそう、お前そこで何してんだ、とか。早く出て行け、とかさ。

 こっちだって好きでこんなトコに居るわけじゃないんだっていくら言っても

 邪魔者扱いさ。それで1年もそこにいれば、誰だって気が狂っちまうよな」

 

そうなのである。鍵盤の上に置き去りにされた工具は

鍵盤が上下するたびにアッチにゴロゴロ、コッチにゴロゴロ回転地獄を味わい

弦にしがみついているウェッジ類は、ハンマーやダンパーから

くそみそに言われるのである。

 

「特にレンナーのハンマーはいばってやがるよな。

 自分たちは特別なんだって鼻息荒くして、今出山のアクション達が

 すっかり尻にしかれちまって静かなもんさ」

「でもよ、中にはとんでもない調律師がいてよ、イトージンのハンマーに

 レンナーという文字をプリントしてよ、取り付けてあったぜ」

「あー、そいつ知ってるよ。レンナーのハンマーだと思って話しかけたら

 妙によそよそしくて、実は、、、って素性を話してくれったっけ。

 あいつら、ドキワアクションの連中にもバカにされてたもんな。可哀想に」

 

ログがまだ新人だった頃、そんな話を工具カバンの中で聞かされていた。

自分もいつかそいう境遇に陥るのかと思うとゾッとした。

できれば、この工具仲間達とずっと一緒に居たいと願っていた。

しかし、これで3回目である。なかば呆れながら、すぐに救出されることを祈って

闇の中でそっと様子を伺っていた。

 

 

「そこに誰かいるの?」ナナは闇に向かって叫んだ。だが返事はない。

(ヘンね、私の弦だけ誰かに邪魔されているみたいなんだけど、、、)

ナナは調律が終わったのに、自分の弦だけミュートされている気がして苛立っていた。

せっかくのレンナー製のハンマーでありながら、それも中音のGという

名誉ある位置をもらいながら、美しい仕事ができないことに焦りと怒りを覚えていた。

ナナは自分の出す音が最も美しいと信じて疑わなかった。

その気性も手伝い、他のハンマーもアクションも、誰もナナには逆らおうとはしなかった。

 

「ねぇ、そこに誰かいるんでしょ?誰なの?ウェッジ?さっさとどかないと、ただじゃ済まさないわよ」なおもナナは闇に向かって叫んだ。

 

しかし、アクション達は知っていた。まだナナ達レンナーハンマーが来る前に

何度か調律屋がウェッジを置き去りにしたことがあったからである。

 

「殺されたいの?返事くらいしたらどうなの?」

ナナの疑念は確信へと変わっていき、返事もしない失敬なやつを

突き止めてやろうと躍起になっていた。

周りのアクション達は、必死に笑いをこらえていた。

いくらナナの気が強くても、ウェッジを殺すことなどできないからである。

好奇の目でナナのやりとりを傍観し始めた。

 

 

(ちぇっ、どうやらバレたらしいな。それも気の強そうな女だぜ。参ったなー)

ログは、突然下から聞こえた声にバツの悪い思いをしていた

最初は無視していたが、相手はどうやら本気である。

それもどんどん怒りが沸騰しているようである。

返事のタイミングを逃したログは、なんとかしなきゃと思いつつも

小心な性格も手伝い、どう対処したらよいか考えあぐねていた。

 

「殺されたいの?返事くらいしたらどうなの?」

その鋭い声に、ログの中にふと懐かしい牧草の匂いがよぎった。

「そこにいるのは、ウェッジでしょ?返事くらいしなさいよ、卑怯者!」

なおも機関銃のような罵詈雑言が炸裂する。

その銃弾を一斉に浴びながら、ログは遠く甘い記憶の中へ沈んでいった。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

ログが育ったのは、オーストラリアの雄大な牧草地だった。

いや、正確にいえば、ログのいたメリノ種という羊が育った場所である。

広い空から降り注ぐ豊かな太陽の光と雨は、雄大な大地を深い緑の絨毯に変え

その青い匂いの中でたくさんの羊が群れをなしていた。

 

おとなしく従順な羊たちは、小さな黒い犬に導かれ

丘から丘へと牧草地を移動していた。ログは25というナンバーの羊の背に生まれた。

大きな群れの中で25は、いつも77という雌の羊と一緒に行動していた。

77の好きな麻雪草が群生している場所をみつければ、すぐに77を呼び、

夜露に体が震えていれば静かに寄り添って眠っていた。

そして、その77の背に生まれたのがナナだった。

ナナは羊毛のくせにいつも我がままを言って77を困らせた。

いつも白く美しくありたいとねがい、犬の目を盗みながら

しょっちゅう二人で水浴びに出かけていた。

 

 

そんなある夜のことである。

ナナのヒステリーで、77は仕方なく夜の水浴びに出かけようとした。

水浴びに適した湖は、この辺りでは森の中へ行かなければいけない。

一人で行くのは不安だったので、25を起こそうとも思ったが

その安らかな寝顔を壊すことがはばかられた。

気配を察知したログは25を起こそうと思ったが

77が「すぐに帰るから大丈夫」というので、それに従った。ログはナナに言った。

『なんでこんな時間に水浴びをしたいんだい?』

「だって、こんな汚れたままで眠れるわけないじゃない。

 ログは女心が分からないのね」

『水浴びしなくたって、十分綺麗だよ』ログは思わず口にしてしまった。

ナナはしばらく黙っていたが、すぐにいつもの調子で

「ふざけないで!殺されたいの?私はもっと綺麗になりたいのよ!」

そう叫んだまま、77は森への道を心細そうな足取りで歩いていった。

 

東の空がうっすらと明らみかけてきた頃、ログは胸騒ぎで目が覚めた。

隣を見ると77はまだ戻っていない。ログは25を起こし、事情を説明した。

25は警備の犬を引き連れて森へ向かった。

湖が近づくにつれて、異様な鳴き声が耳に飛び込んできた。狼である。

警備の犬は雄たけびを上げながら湖の傍へと全力で走る。

25が湖にたどりつくと、そこには真っ赤にそまった77が横たわっていた。

犬たちは勇敢に狼を追い払ったが、狼たちはなおも虎視眈々とスキを伺っている。

そこへ、馬に乗った羊飼いが現れ、猟銃を打ち鳴らし、狼を撃退した。

 

真っ赤に染まったナナは

「私、このまま死んじゃうのかしら。ねぇログ、私死んじゃうのかな」

と泣きながら叫んでいた。

「私、もう綺麗になれないの?私たち、もう会えないの?」

『大丈夫、僕たちはもうすぐ刈り取られて、ピアノという楽器の中に行くんだ。

 今度はそこで、美しい音を出すために生まれ変わるんだ。

 いつかきっと、そこで会えるはずだよ』

ログの慰めも虚しく、羊飼いは小さく痙攣した羊を優しく抱き上げ

馬に乗せて行ってしまった。

 

 

翌日、ログは25の背から刈り取られ

知らない仲間達と一緒にヨーロッパへ送られていった。

ナナがその後どうなったか分からないまま、ログはフェルトウェッジとなっていた。

 

・・・・・・・・・・

 

 

「あんたね、黙っていたって、そこにいるのは分かってるのよ。私の邪魔しないでよ!」

いつしか機関銃はバズーガー砲になっており

このままではスカッドミサイルかテポドンになるのは時間の問題である。

この黄色い声、この強がる口調、ログはその声の主を確信した。

 

「私はね、ただ綺麗な音を出したいだけなのよ、なのに何故邪魔するの?」

『綺麗な音だよ』

「・・・・」

『調律の時、君の音を聞いていたよ。今までで一番綺麗な音だったよ』

「なによ、そんなおべんちゃら使ったって無駄よ。早くそこをどいてちょうだい」

『そうしたいんだけど、一人じゃここから抜けれないんだ、ごめんよ』

 

ナナの怒りは限界に達していた。そこにいるのは仕方ないとしても

返事をしないという態度が許せないのである。全くもって失礼な奴である。

 

 

ナナがこのピアノに来た時、最初はアクションもボディもみんな倦怠感に満ちていた。

どうせ弾いてもらえないピアノなんだ、という諦観が充満していたのである。

ナナはそんな沈殿した空気を払拭するかのように

ひとり美しい音を出そうと躍起になった。

 

すると、月に一度しか鍵盤蓋を開けなかったオーナーが

週に1度ピアノをさらいはじめるようになり

やがてほぼ毎日ピアノに向かうようになった。

 

練習曲は、バッハのゴールドベルク変奏曲。ナナのGから始まる曲である。

周りの仲間もにわかに活気に満ち、ピアノ全体で30の変奏曲を紡ぎあげた。

ナナは必死に綺麗な音であろうと努力した。綺麗でなければいけなかった。

まだ若かった頃、彼の忠告を無視して夜の湖へ行き、そこで彼とは永遠に別れてしまった。

あの時、もし彼の言葉に従っていれば

今頃一緒に同じピアノの中で歌っていたかもしれない。

だが、その夢はもうかなわない。せめて、最後に彼が話してくれたように

綺麗な音を出すことができたなら…

そのためにナナはもっともっと綺麗な音でなければならないと、自分に言い聞かせてきた。

 

ところがである。自分の弦に邪魔者がのさばっている。

それもシカトを決め込んでいるのである。

ナナは、なおも知りうる限りの悪態を、容赦なくウェッジに浴びせ続けた。

すると、突然『綺麗な音だよ』という返事が返ってきた。ナナはひるんだ。

続けてウェッジは『今までで一番綺麗な音だよ』と言ってきた。

馬鹿にされているような気がしながらも、その声のやわらかさに

ふと心の何かが安らいでいく不思議な感覚に陥った。

まさか、まさかそんなはずはない、、、

 

 

「誰なの?」

『ただのフェルトウェッジさ』

「どうして返事をしなかったのよ?」

それでもナナはまだ怒ったフリを続けながら話した。

『ついに綺麗な音で歌えるようになったんだね』

「えっ、、、誰なの?」

 

 

オーナーは調律したばっかりのピアノに向かい

いつものゴールドベルクを弾き始めた。

ふと、最初の音が妙につまって聞こえたのが気になったが、かまわず引き続けた。

グールドよろしく第5変奏は指がからまるくらいの早弾きを試み

一番好きな最後の変奏曲を雄大に展開し、アリアに戻る。

すると、一番大切で大好きなGの音が出なくなってしまった。

何度鍵盤を押してみても音が出ない。

オーナーはすかさず居間に行き、調律屋に電話をかけ事情を説明した。

せっかくの気分が台無しである。

 

 

『・・・・・』

ウェッジからの返事は突然のピアノの音にかき消された。

オーナーがいつもの曲を弾き始めたのである。ナナの音は頻繁に登場する。

しかし、今日はウェッジのせいで綺麗に歌えない。

それでも、ナナはこのままでいいと思うようになっていた。

もう綺麗でなくてもいいから、このままあのウェッジと一緒に居たいと願っていた。

 

 

『僕だよ、ナナ』その言葉は突然のピアノの音によって

ナナに聞こえたかどうか分からない。

ナナが頻繁に活躍するこの曲はなんという曲なのだろう。

時に凪いだ海原のように、時に雷雨の草原のようにめまぐるしく展開していく曲。

ログは、ナナの音を邪魔しているこの状況から少しでも早く脱しなければと思いつつ

体をよじってみた。幸い弦の振動が手伝ってくれて

徐々に弦の隙間がゆるく感じられる。と同時にログの体はゆっくりと下降し始めた。

ナナの音がする度に、ゆっくりとナナの元へ近づいていく。

 

ナナは最後の変奏曲で、すぐそこにログが降りてきていることに気づいた。

(だめ、そのままずっとそこに居て)と祈った。

10年あまりの年月を経てようやく再会できたのに、このまま別れてしまうなんて…

しかし、ナナの祈りも虚しく、ログは弦が振動するたびに近づいて来る。

そして、ついに最後のアリアの最初の音で、ログはナナに寄り添い

ナナはそのまま身動きが取れなくなってしまった。

なつかしいログの柔らかなぬくもりの中で、ナナは…

 

【続く内容に不適切な表現が見受けられたため

 一部割愛させていただきます:編集部風紀委員会】

 

 

「いやー、たぶん湿気のせいでしょう。もう大丈夫ですよ」

調律屋はすかさずハンマーに引っかかっていたウェッジを抜き取り

オーナーに偽りの弁解をした。オーナーは怪訝そうな表情をしながらもピアノを弾いてみる。すると、Gの音は、今までにも増して美しくなっており

大いに満足し調律屋に感謝を述べた。

 

「いえいえ、また何かありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね。

それでは、これで失礼いたします。」そう言い残すと

調律屋は逃げるように帰っていった。

 

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

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