隈の釜山

フェリーはゆっくりと釜山港を離れていく。

溢れる夜景が、やわらかく、美しい。不覚にも、それらの夜景が滲んでいく。

「やっと終わったんだ」

調律屋は心の中で何度かそうつぶやいて少し冷たい9月の汐風にもたれかかった。

目を伏せると、ここまでの長い日々が甦ってくる。

 

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七月の初めに、コンヴェルスム・ムジクムの韓国遠征依頼の連絡が入った。

9月の前半に、ソウルでコンサートをやるという。

しかも、チェンバロを東京から持参して欲しいというオマケつきだ(マジかよ)

こうなると、工具カバンひとつ持って飛行機に乗るのとは訳が違う。

パニクリながらも、早速、準備が始まった。

 

調べていくうちに、どうやら最大の問題は税関らしいことが分かった。

つまり、チェンバロを国外に持ち出す時の手続きである。

しかし、後輩の調律師がリサーチしてくれ、どうやらATAカルネというものを

事前に取得すれば楽器の税関通過はスムースになると教えてもらった。

これは、楽器のパスポートの役割を果たしてくれ、原型をとどめて持ち帰れば

書類のサインだけで税関を通過するという優れものだ(ラッキー)。

 

早速、国際商事仲裁協会とやらへ足を運び、説明を受け申請書類をもらい

チェンバロ所有者に郵送する。あとは、それらの書類を作成して

カルネを取得してもらえれば一段落である。

本来ならば、これでスムースに行くはずだったのだが…

 

準備はかなり面倒くさかった。

楽器運搬に関する全ての準備を、調律屋は任されてしまったのである。

フェリーの手配、釜山からソウルの高速道路の情報、演奏会場の情報

会場を配慮して宿舎の確保、国際免許の取得、その他にハングルの早読みや

ソウルの地図を頭に入れるなど、8月は北朝鮮の工作員になった気分だった。

 

現地で問題となるのは「言葉」と「右側通行」だった。

以前にソウルに行った時、その交通事情を体験してるだけにこれは深刻だった。

(あるガイドブックには、ソウルの交通マナーの悪さは世界一とまで書いてあった)

 

 

9月に入り幾つかの問題が生じた。

楽器の所有者が、担保金額が高いためにカルネを取得しなかったのである。

税関に電話したら大丈夫だと言われた、等と主張する。(マジかよ)

それから台風で韓国に大きな被害がでていることであった。

ソウルまでの高速道路も幾つか寸断されている。

そして、次の大型台風が沖縄に接近していたのである。

更に、米国テロ事件から1周年を迎えるのと、

小泉首相が北朝鮮訪問を控えているのとで、

警戒が厳しくなっていることなど、怪しげなタイミングになっていった。

やれることはやったはずなのに、出発前夜には、あまりの不安の重さに、

呼吸が出来ないくらい苦しかった。(ただの喘息か?)

 

 

日本国内は予定通りに移動でき、下関に到着した。

そして、いよいよ下関港で車の検査である。積荷は楽器。

税関員は開口一番に言った「カルネはありますか?」 

調律屋は答えた『ありません』 

 

呆れた税関員の薄い微笑の中には、軽蔑の輪郭さえ見える。

「困りましたね、そういうのは許可できないんですけれどね…」

それから1時間、楽器を出してみせたり、準備した書類を見せ

コンサートがあるからどうしても行かせて欲しいと懇願したり

空しくみじめなやり取りが続いた。

 

大切なのは、金でも使用目的でもなく、書類なんだという。

調律屋はあきらめかけた。だからあれほどカルネを取れと言ったのに…

みじめさと悔しさで逆ギレしかけた。同行してるスタッフも必死に耐えている。

そして、税関の人の言葉ジリをついて

『それなら、この楽器に刻印のようなものがあればいいわけですね。

それなら、今からノミか刃物で刻みますから』

 

ついさっき、三百万くらいの楽器と言った調律屋が

その楽器に自ら傷をつけようというのだから、今度は税関員のほうが焦り始めた

「いや、何もそこまでしなくても…」 

こちらは、音や外観に支障の無い底板にでも彫り付けようと思っていたので

罪悪感などなく、そんなことで出国できるのなら、たやすいことだ…

くらいにしか考えていなかった。それから、形勢は逆転し始めた。

 

結局、税関員が何冊かの法律書みたいなものを引っ張り出してきて

その中から「職業用具の一時輸入に関する通関条例」という本を入念に調べ

「付随書C、その他の職業用具、Ⅱ例示表、F楽団が必要とする用具」

として楽器を認めてくれたのである。

これは、本来なら個人的なサイズでは楽団と認められないことなど

とにかく特別の配慮であるから、次回は適用されると思うなと念を押された。

 

調律屋にしてみれば、とにかく今回だけ通過すればいいのだから

本心から何度も何度もバカみたいに感謝してしまった。しかし、最後に税関員は

「ここは通過できても、釜山は絶対許可されないと思いますよ」と

気の毒そうに付け加えてくれた。調律屋は再び天国から地獄へ突き落とされた。

 

 

しかし、釜山も強引に通過させてもらい、韓国に上陸し、ソウルへ向かった。

ソウル滞在中には幾つかの交通ルールを体得した。

交差点で、信号が赤でも右折しちゃえるとか

左折は矢印が出ない限りできないとか…

 

そして、コミュニケーションは、韓国語の文法に英語の単語を当てはめるという

これまた強引なハングリッシュで切り抜けた。

いつもの日本の現場のように笑って誤魔化せる状況ではないので

死ぬ気で外国語らしきものをしゃべった。

 

結局、五日間で5回のコンサートと3箇所でチェンバロのメンテナンスをする

といったハードなスケジュールを順調にこなし、全工程を無事に終了した。

しかし、日本に帰国したその夜から

今度は高松で7回のコンサートが待ち受けており、疲れている暇などない。

 

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釜山港の喧騒が小さくなっていく。

フェリーの低いエンジン音と波の音だけが耳を支配する。

「やっと、終わったんだ」 

1週間前に同じ海の上で、自分はどれだけ落ち込んでいただろう。

ところが、今は同じ海の上で、こんなに満たされている。

 

 

それは、ソウルっ子の拍手と歓声によるものだった。

コンヴェルスムの演奏は、バロックというより

まるでロックのような反応で聴衆に迎えられ

全てのコンサートを成功させていった。

 

調律屋は、今でも耳に残っている、あの演奏に対する熱意の込められた

ソウル市民の拍手の響に、全ての疲労はどこかに吹っ飛び

それどころかエネルギーをもらって帰ってきたのだ。

 

目を開くと、満月へ向かって膨らみ始めた月が優しかった。

ふと、ひとりごちてみる。

 

「小早川・加藤・小西が世にあらば、今宵の月をいかに見るらむ」(寺内正毅)

 

 

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

7/17 動画

音の影

7/15 作曲

テノヒラ未来

3/ 26 動画

冬の終わり

2/ 4 作曲

獏飼い注意

1/24 作曲

ゆらゆら

1/12 動画

自我持参