乙女の祈り

BGMを聞きながらお読み下さい)

 

 

「こちらでございます。」

 

小柄なおばあちゃんに案内された部屋は、居間の隣にある小さな部屋だった。

ずいぶんと古い趣の机や和ダンスが並んでいる。

その部屋は、使われてる様子こそ無かったが、きれいに掃除が行き届いていた。

 

「それではよろしゅうお願い致します。」

 

あばあちゃんが部屋から出て行くと、私はピアノの音を出してみた。

決して狂ってはいない。あまり弾かれてない印象を受けるが

恐らく1時間も弾き込めば鳴ってくるだろう。

 

私は何気なく天屋根を開けて、調律カードを取り出してみた。

そして、ゾッとした。

ここ40年近く毎年きちんと調律は行われているのだが

すべて異なった調律師の名前が記入されているのだ。

 

それよりも、その日付けが全て同一、つまり、今日の714日が記入されている。

よほど律儀な人なのだろうか、それにしても全て異なった調律師が担当している

とはどういうことなのか…後で聞いてみようと思いながら作業にとりかかった。

 

 

作業が終わると、広い居間に通され、お茶を御馳走になった。

といっても、ミスズ飴とコーヒーという取り合わせである。

年配の方には精一杯のおもてなしのつもりだろうが

私のような世代には、これはいただけない…それでも仕事である。

 

苦笑しながらコーヒーをすすり、何気なく居間を見渡した。

ふと部屋の隅にある仏壇に目線が止まった。

その前にはナスやキュウリ等のお供えものがある。(そうか、今日はお盆なんだ)

仏壇の上には、二人の写真が飾ってあった。ひとりは老人の男性のようだ。

もう一人は…はて、子供のように見えるが…

 

そんな私の後ろを女の子が通り過ぎ、ピアノの部屋に向かった。

部屋の入り口で、その子は立ち止まり、こちらを振り向いた。

おかっぱ頭とは、今時めずらしい。

目があったので、「こんにちは」と語りかけると

その子ははずかしそうにハニカミながら、部屋の中へ入ってしまった。

どうやら、この家のピアノを弾いてるのは、このお孫さんのようだ。

 

おばあちゃんがスイカを切って持って来てくれた。

コーヒーにミスズ飴にスイカである…

『どうぞ、お気づかいなく』と笑って遠慮したものの

心の中では少し憂鬱になった。

 

「先生は、どうやら気に入られたようですな」

おばあちゃんがニコニコしながら言った。

(先生? 私のことか…誰に気に入られたというのだろうか…

 あっそうか、さっきの女の子のことかな?)

 

私は正直に『小さい子は嫌いじゃないんです。

 可愛いですね、お孫さんですか?』と言った。

すると、おばあちゃんは、「いや、私の娘なんです。」と言う。

 

(えっ?このおばあちゃん、ボケてるのかな?)

どう見ても、おばあちゃんの子供とは思えない年齢である。

実際、私の娘より幼いのだ。(養女とか、なにか訳があるのかな?)

それなら深入りすることは無い、と思いつつ、話題を変えようと思った。

 

すると、隣の部屋から、さっきの女の子のピアノ演奏が聞こえてきた。

(確か、乙女の祈りだったかな?)ぎこちない演奏にも関わらず

おばあちゃんもニコニコしながら聞き入っていた。

 

『おばあちゃまは、昔からこちらにお住まいだったのですか?』

毎年同じ日に調律師を変えて調律を頼んでいる理由を知りたくて

遠まわしの質問を始めた。

「ええ、そうですのぅ。嫁いでからずっとですから

かれこれ40年くらいになるかも知れませんのぅ」

ということは、あのピアノはずっとこの家にあったのだろう。

 

『失礼ですが、私の連絡先は、どなたかからお聞きになられたのですか?』

「ええ、電話帖に載っておりましたもので、御連絡させていただきました」

そんなはずは無い!ここは長野県である。私は埼玉県に住んでいるのである。

電話帖はおろか、この近所に知り合いやお客さんは皆無なのだ。

やはり、ボケているのだろうか…

 

暑さに加えて、すきっ腹のコーヒーがいけなかったのか

私は妙に苛立ちを覚え始めた。このたちこめる線香の匂いもうっとおしい。

もはや長居は無用である。

恐らく、来年の同じ日には、また別の調律師が呼ばれるのだろう。

ただそれだけのことじゃないか…

 

しかし、この苛立ちの原因には、どうやら、先ほどから聞こえてる

ピアノの演奏も関わっている感じがする。

どうも、こう、ぎこちないというか、滑らかさが無いというか

聞き苦しいのである。子供だから仕方ないと言えば、仕方ないのだが…

 

(いや、これはただペダルを使って無いだけじゃないのか?)

そう気付いた私は、大人げなくおばあちゃんに言ってしまった。

「ペダルが使えるようになると、もっと美しく聞こえるかも知れませんね」

と同時に私はおばあちゃんの視線の先を追いかけていた。

 

そこには、仏壇があった。

そして、その上にあるもう1枚の写真を見て…私は凍りついた!

 

その写真は、今ピアノを弾いているおかっぱの女の子なのである!

おばあちゃんは、それに気付いたのか、私の目を覗き込みながら

静かに笑みをたたえ、ゆっくりと言った。

「ペダル?そりゃ無理ですよ。先生もさっきご覧になったでしょうが

 あの子には、もう足が無いんですから」

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

10/31 動画#73

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10/ 1 作曲#115

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5/ 9 動画 #70

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       「細胞分裂

3/ 4 作曲#107

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1/17 動画#68

       「ペンタの大冒険⑭

1/11 アルバム

   「704

1/ 8 作曲#105

      「ソナチネ