水冷のスゝメ

最初に断っておくが、これは実話である。

奇を衒った逆説でもなく、ましてやウケ狙いの空想噺でもない。

約十年間の経験と実績に基づき、なおかつ

この夏の日本の状況を鑑み、声を高くして提唱するものである。

さあ、同志諸君! 地球に優しく、快適に夏を謳歌できる

簡単な方法に耳を傾けたまえ!

 

 

こんな前置きが必要なのには理由がある。

私の身近な友人達は、私が実践しているこの方法を

目の当たりにしているにも関わらず

誰も採用しようとしないどころか、信用もしてくれないのである。

しかし、この夏こそは、そうも言っていられなくなるだろう。

何故なら、関東以北では、深刻な電力制限に陥るのだから。

 

少し時代を遡ってみよう。

夏場の高速道路や、山中の長い上り坂の路肩には

よくオーバーヒートしてボンネットを開け

立ち往生している車があったことを憶えておられるだろうか?

現在は、そうした光景はほとんど見られなくなった。

何故ならば、エンジンが効率的な水冷へと移行したからである。

 

実は、私も水冷で夏の極暑をやり過ごしている。

ここ十年以上、家の冷房はおろか扇風機すら稼働させずに

猛暑を乗り切っている。かかる費用は、僅か三千円である。

たったそれだけの出費で、この危機的な夏をしのげるのだから

騙されたと思って試してみる価値はあると信じている訳なのだが。

 

それは、実に簡単な方法である。

野球のアンダーシャツを着て、下半身もレギンスをはく、それだけなのだ。

 

真夏の甲子園で、高校球児達が炎天下の中、繰り広げている死闘に

感動をもらった方々も少なくないことだろう。

彼等の活躍も、あのアンダーシャツがあってそこなのである。

体にピチピチにまとわりつくアンダーシャツは

汗を吸収し、それが蒸発する時に、放射冷却が起こり

体温を下げてくれるのである。

 

私は一年を通し、このピチピチシャツを着て

ピチピチレギンスを履いている。

発汗する夏は涼しくなり、冬場は皮膚が厚くなったかの如く

保温効果が倍増する。

それなので、暖房をつけずに一冬を過ごしたこともある。

もっとも、その冬は部屋の中でもダウンジャケットを

着込んでいたのだが…

 

この水冷服発見へのプロセスも説明しておこう。

ある夏の日、ふと思いついた。

体温は温度差で涼しく感じるのではなかろうかと。

それで、仕事の帰りに窓を閉め切って暖房をつけた。

途中、信号待ちしている時などは少々恥ずかしかった。

オッサンが曇った窓の中で汗だくになっているのだから…

しかし、熱中症寸前で帰宅し、車のドアを開けた時の清涼感たるや…

気温は30度を超えていたが、40度を超えた車内よりは

驚くほど涼しかったのである!

 

それから、発汗した水分を体に宿す方法を模索した。

そして辿り着いたのが、ポリエステル素材のピチピチシャツなのである。

暑ければ暑いほど、発汗すればするほど、体温を下げてくれるのである。

その時から、私は夏を制覇し、昨年のような猛暑でもビクともしない男になった。

 

考えてみてほしい。

長い人類の歴史の中で、冷房などという軟弱な装置に寄り添うようになったのは

ほんの数十年前からであり、つまり僅かな時間でしかないのである。

そう、人類は冷房など無くても、種を繋ぎ、こうして繁栄してきたのである。

人間の中には、発汗によって体温を維持できる

潜在能力が内在しているのだ。

 

ところがどうだろう。現代の文明国の退廃ぶりは。

私の勝手な推測だが、これは西洋の発想に起因すると分析している。

西洋は、自然を制圧する傾向がある。

西洋思想に冒されてなかった頃の日本は、自然と調和して生き抜く知恵が

満ちていたのだが、残念かな近代化の波の中で淘汰されてしまったのだ。

 

暖をとる。

西洋では、暖炉などで部屋全体を暖めようとする。

厚い壁で外界を遮断し、閉ざされた空間だけを暖めるのである。

一方日本はというと、火鉢やコタツなど、体の一部だけを

暖めるだけで良しとしてきた。

更に日本においては、風鈴の音に涼を得る、そうした粋があったものだ。

精神主義的に聞こえるかも知れないが

自然の中で動物として調和する思想があったのだ。

 

そして今、そうした西洋由来の科学への過信が露呈され始めた。

同時にこれはチャンスでもある。

もう一度、人間は自然と調和して生きるターニングポイントにもなるのである。

自身の中にある動物としての潜在能力を顧み

それを実践してみる良い機会なのである。

この機会を見逃すことはない。

 

さて、話を戻そう。具体的な説明に入ろう。

私が着ているピチピチシャツは、ミズノというメーカーの

野球のアンダーシャツである。(約3000円)

レギンスは、トップバリューというブランドの

スポーツ用のサポーターみたいなものである。

私は、これらを12着購入し、番号を書いてローテーションしながら着ている。

夏場になると、膨大発汗故、毎日洗濯が繰り返されるので

洗濯による生地の傷みを鑑み、12着のローテーションを繰り返している。

 

「汗をかくとベトベトして気持ち悪い」と思われる方もいるだろう。

ノンノンノンノン。それは、体と服の間に空間があり

なおかつ綿等の素材だから、ベトベトするのである。

体にピッチリ密着しているポリエステルでは、汗は服の外側に発散されるので

全くもって不快感が無いのである。

そして残念なことに、この辺りから、経験していないだけに

「本当かな…」と訝しがる人が生じてくることも分かっている。

 

ピチピチシャツによる発汗=放射冷却に続いて

更なるオプションも紹介しておこう。

私は二階建ての二階に居住している。(一階は工房)

なので真夏の日中ともなると、屋根が熱せられて部屋を暖め

室温は40度くらいに達することもある。

それでも、ピチピチシャツを着ていれば冷房も扇風機も無くやりすごせる。

雨などで窓が開けられない時には、首の後ろにアイスノンを巻き付けるだけで

容易に体温を下げることも可能なのである。冷凍庫に二つ常備してある。

(ただしパソコンは毎夏、暑さでイカレポンチになる…)

 

そして寝苦しい夜のオプションも紹介しておこう。

竹のチップで作られた“竹ドミノシーツ”というものが市販されている。

これをベッドの上に置くだけで、シーツと体の間に空間ができ

自身の体温による寝苦しさから解放される。

ただし、裸よりもピチピチシャツ着用の方が効果的であることも

忘れないでもらいたい。ちなみに私は、ニトリでこの商品を入手した。

 

良い点ばかり挙げると、イカサマ商法のようだから

ピチピチシャツ着用の問題点も述べておこう。

このシャツで発汗した状態で冷房の中に入ると、はっきり言って凍える。

当たり前だ。体温と同じくらいの気温で涼しいのだから。

なので電車に乗ろうものなら、冷蔵庫のチルド室のササミの気持ちがよくわかる。

冷房の効いている乗り物や建物へ入る時には、必ず長袖のジャケットを

忘れないようにしてもらいたい。

 

もうひとつ。それは汗の質。

私はサッカーをしているので、夏場の試合に向けて5月くらいから

無駄に発汗するようにトレーニングをしている。

しっかりシャビシャビな汗が出るように、歩いたりジョギングしたり

サウナでロダンが喜びそうなポーズで忍耐したり。

汗の質を変える簡単なトレーニングで、運動不足解消と

冷却効果倍増のオマケがついてくるので、是非オススメする。

 

さあ、同志諸君。信じるか信じないか、実践するかしないかは御自由である。

クールビズなどは、私から見れば空冷の限界を曝け出しているようで滑稽である。

もう一度、書いておこう。

私は、このピチピチシャツ作戦だけで、冷房も扇風機もつけずに

夏を何度も乗り切っている。夏に汗をかけば、冬も風邪をひきにくい。

原発反対の声を挙げるよりも、地球にも人間にも懸命な手段である。

 

ルソー曰く 

「自然に帰れ、自然の中の人間こそ真の姿である」

私の家には、テレビも新聞もない。(時計もカレンダーも炊飯器も無い)

厭世的な生活をしているのだが、その分、自分の内から湧き上る

様々な本能のアドヴァイスを聞くことが出来る。

私はただ、そうした欲求へ忠実であろうと思っているだけなのだが。

 

 

よくある質問

 

Q:ピチピチシャツの上に服を着てもいいんですか?

A:もちろんです

  ワイシャツにスーツでも、汗をかけば快適です!

 

Q:夜寝る時も着ているのですか?

A:もちろんです

  24時間着ていれば24時間体温が下がります!

 

Q:ピチピチだと体型がアラワになって恥ずかしくないですか?

A:もちろんです

  そのままの格好で外出すれば逮捕されるでしょう…

 

 

 

[著者後記]

私は、しばしば目立ちたがり屋と思われるふしがある。

ところがドッコイ、性格は内向的でシャイで人見知りなのである。

そう思わせてしまう原因に、私の容姿があるのだと思う。

 

例えば、服装に関しては第一印象に強く影響を及ぼす。

ここ十数年愛着しているピチピチシャツも

スタンダードでない、というだけでマイノリティになり

結果、奇抜な服を着たがる目立ちたがり屋だと勘違いされる。

 

しかし、この文章で説明したとおり

こうした機能的な動機故に選択したイデタチを

まとっているだけなのである。

 

この作文は、東日本大震災の起こった2011年夏に寄稿したものである。

なので、文中の“この夏”というのは、あの夏のことである。

電力不足で世間が騒いでいた、あの夏のことである。

 

当時私は、平然と電力を浪費しながら“原発反対”と唱えている群衆に

非常に違和感を憶えたことを記憶している。

「先ず隗より始めよ」

個人の集合が国であるのに、己の快適さは持続させたまま

システムへクレームをつける。矛盾ではなかろうか。

 

例えば夏場の冷房電力を下げる為には

たったこれだけのシャツで効果が上がるのに…

そんな気分で書いた作文だった。

 

私のピチピチシャツは、5年に一回、総交換している。

洗濯による傷みは、やはり限度がある。

夏だけでなく冬にも効果的な、この恥ずかしいピチピチシャツを

私は死ぬまで着続けることだろう。

 

 

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

10/31 動画#73

         「ペンタの大冒険⑱

10/ 1 作曲#115

        「コンダーラ

9/ 3 作曲#114

       「茄子の慟哭

8/20 作曲#113

        「らむね

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        「光合成

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6/ 2 作曲#110

       「フェルマータ

5/22 動画#71

        「ペンタの大冒険⑯

5/10 作曲#109

        「震弦地

5/ 9 動画 #70

      「ペンタの大冒険⑮

4/27 録音 #80

        「La Sprezzatura

4/ 3 作曲#108

       「細胞分裂

3/ 4 作曲#107

       「ハレ男

2/10 作曲#106

        「花売娘

1/17 動画#68

       「ペンタの大冒険⑭

1/11 アルバム

   「704

1/ 8 作曲#105

      「ソナチネ