精霊の踊り

幾重にも重なった緑が描く影を抜けて

森が開きかける頃、その響きは聴こえてくる。

私は、その辺りから、自分の足音に気をつけ、礼拝堂への道を進んでゆく。

近づくにつれ、やわらかなオルガンの響きは大きくなってゆく。

おや? 今日はまた新しいレパートリーが増えたようだ。

礼拝堂の扉の前で、曲が途切れるのを待ちながら、私は呼吸を整えた。

 

「おはようございます、神父様!」

『おはようアンナ!今朝は新しい曲に挑戦かい?』

「うん!でも、ちょっと難しくて」

『大丈夫だよ。すぐに思い出せるようになるから』

 

彼女の弾くオルガンに、譜面は立てられていない。

彼女は記憶だけを頼りにオルガンを弾いているのだ。

彼女は母親に連れられて、毎朝この礼拝堂に来ていた。

母親の弾く曲を静かに聞きながら、いつの間にか憶えてしまったようだ。

もちろん、幼い彼女のことだから、鍵盤はメチャクチャに押しているのだが

それが美しい響きになる秘密も、私は知っている。

 

母親が急病で亡くなって、しばらくしてから

今度は彼女一人が礼拝堂に来るようになった。

村からは30分ほど山を登ってこなければならないのだが

よほどの雨でもない限り、彼女は毎朝

こうして礼拝堂でオルガンを弾いている。

そして、その演奏が誰もいない礼拝堂で祈祷する前奏曲となっている。

聞いているのは、森の動物と精霊と、そして神のみであろう。

 

『今日は、もうすぐ街の人達が来るんだけれど、どうする?』

「もうちょっと弾いていたいんだけれど…」

『うん。そうしてもらえると嬉しいな、私も』

「じゃ、それまでに頑張って思い出さなきゃ」

 

街までは馬車で1時間近くかかる村である。

その辺境故に、アンナの母親はこの村に来たのだった。

アンナの父親は立派な軍人だったが、隣国からの侵略の際に戦死し

彼の家族を抹殺しようという陰謀がうごめいていた。

街の大聖堂でオルガンを弾いていた母親は

命からがらこの村へ逃げて来たと聞いたことがある。

そして、温かい村人は、アンナと母親を匿うことに協力的だった。

 

太陽が梢を超えて、ささやかなステンドグラスを輝かせる頃

数人の足音と話声が聴こえてきた。

どうやら街の司祭と、その連れの人々がやって来たらしい。

私の友人でもある司祭が、この礼拝堂の修繕費などを捻出してくれるよう

街の富豪商人にかけあってくれたのだ。

この礼拝堂には何もないが、唯一アンナの素晴らしい音楽で

彼等をもてなせればと考えていた。

 

「おおグスタフ!元気そうじゃないか!こちらがフランツさんだ」

『これはこれは、フランツ様。遠い所まで、ようこそお出で下さいました』

「うん、グスタフ君。随分辺鄙な場所で、いささかくたびれてしまったぞ」

『何もありませんが、どうぞおかけ下さい。今お茶を入れますので』

 

4人が興味深げに礼拝堂を見回しながら、それぞれ随意に腰を下ろした。

私はポットからお茶を注いで、カップを差し出した。

挨拶した後、皆が黙っているのは、恐らくアンナの演奏に聞き入ってるからだろう。

今や4人の視線は、その小さな背中に釘付けになっている。

私も腰を下ろして、彼女の演奏が途絶えるまで黙っていた。

そして、大きな拍手が堂内に響いた。

 

「これは素晴らしい!お嬢ちゃん、いくつかね?」

「はい、6歳です!」

「おお、どうかねグスタフ君!このお嬢さんを街で演奏させてみるのは」

『ああ、はい…しかし、それは難しいと思われるのですが…』

 

私がすぐに賛同しなかったことに、フランツさんは難しい顔になった。

友人も首を縦に振るよう目線で促している。

今ここでフランツさんの機嫌を損ねれば、せっかくの寄付の話も

立ち消えてしまうことを懸念しているのだろう。

もちろん、それは私も分かっているのだが、アンナを街に出すということは

簡単に承諾できることではないのだ。

アンナは再び演奏を始めた。

 

もしかしたら、街の人々は、アンナが将軍の娘であったことを

思い出してしまうかも知れない…

それだけでも危険だったのだが、もっと複雑な事情があった。

アンナは、この礼拝堂でしか、オルガンが弾けないのである。

アンナのデタラメな鍵盤の演奏には、森の精霊達が付いていてくれるからこそ

正しく美しい響きが出ているのであった。

 

私がその事実を知ったのは、彼女が初めて一人でオルガンを弾いていた時のことだ。

母親の演奏の記憶を頼りに鍵盤を押したのだが、まるでメチャクチャな響きに

彼女は泣き出してしまったのだ。

しかし、それを聞いていた森の精霊達が、オルガンのパイプに入り込み

瞬時にパイプの中で上下し、音程を変えてくれているのだった。

いわば、アンナと精霊達の共演なのだ。

 

「どうかね、お嬢ちゃん。おじちゃんと一緒に街で演奏してもらえんかな?」

曲が終わった後に、フランツさんは満面の笑みでアンナに話かけた。

「はい、いいですよ!」

「よし、話は決まった!そんな訳だからグスタフ君、宜しく頼みますよ」

 

 

翌週の日曜日、街へ向かう馬車の中で、私はアンナに話かけた。

『いいかい、アンナ。街ではお父さんとお母さんの話をしてはいけないよ』

「はーい!わかりました、神父さま!約束します!」

『それから、うまく弾けなくても泣いたりしちゃ駄目だよ』

 

街へ着くと、大聖堂の周りには、たくさんの垂れ幕が下がっていた。

“天才少女の奇跡!” “アマデウスの再来” などと

アンナのコンサートに期待させる言葉が並んでいる。

私は不安になった。

これだけ大勢の聴衆の中で、アンナ自身が傷ついてしまうことを。

そして、フランツさんを怒らせてしまうことを。

決して洩らせない秘密を知っているのは、私一人なのである。

 

それでも、これはアンナが通過しなければいけない試練だとも思っていた。

彼女が、精霊達がいなくても演奏できるきっかけは、自分で気付くしかないのである。

彼女の音楽は、鍵盤の運指こそデタラメではあるが

時間を織りなす能力は本物なのである。

音楽にとって、最も重要な要素である時間への支配と解放は

母親以上に素晴らしい素質を持っているのである。

 

 

「いったいどうなってるんだグスタフ君!君が唆したのではないのか!」

1曲目を弾き終える前に、フランツさんは大声でコンサートの中止を宣言してしまった。

大聖堂を埋め尽くした群衆は、高かった期待に比例した嘲笑と不満を吐き出していた。

アンナはオルガンの椅子に座ったままうなだれている。

そして私は、別の部屋で彼から激しい叱責を浴び続けた。

 

 

帰りの馬車の中でも、アンナは震えながら、一生懸命涙をこらえていた。

『アンナ、もう泣いてもいいんだよ』

しかし、アンナは首を大きく横に振り、私の顔を見上げて言った。

「どうしてうまく弾けなかったの?どうしていつもみたいに弾けなかったの?」

 

翌朝から、私はアンナと同じ時間に礼拝堂へ行くことにした。

私は音楽を教えるなどということは出来なかったが

彼女の記憶通りに鍵盤を押せる練習をしなければならなかったからだ。

森の精霊達に事情を説明し、しばらく見守っていて欲しいと頼みこんだ。

精霊達は、ふいごを押す以外に仕事がなくなったことに

少しだけ不満気だったようだが、最後には承諾してもらえた。

 

『いいかいアンナ。私が口ずさむメロディーと同じ鍵盤を探してみるんだよ』

そういいながら、私はハミングをした。

アンナは、あっちこっち鍵盤を探しながら

ようやく同じメロディーの鍵盤を探しあてることに成功した。

最初は短いメロディーを。

そして日を追うごとに、少しずつ長いメロディーを。

アンナの小さな手は、それでも日ましに鍵盤と仲良くなっていった。

 

やがてアンナは、記憶通りに鍵盤を押すことが出来るようになった。

そして、毎朝自分で思いついたメロディーも、思い通りに演奏する楽しみも憶えた。

精霊達は、パイプの中に潜り込んで舞踏する楽しみを奪われたが

森中にこだまするように囲いこんで、ふもとの村までオルガンの響きが

聴こえるようにする役割を演じはじめていた。

おかげで、村では毎朝、天上から音楽が降ってくるようになった。

 

 

旅人の口を伝って、その噂は広い地域に散っていった。

最近では、遠方から奇跡の音楽を聞きに訪れる人々が増えてきた。

小さな村は、少しだけ豊になって、村人はその中から礼拝堂の修繕費を

賄いたいという申し出をしてくれた。

ドームで覆われたかのようなふもとの村には

かつて母親が弾いていた、いにしえの曲に加えて

毎朝、アンナが即興で紡ぐ新しい音楽が響きわたっていた。

その透き通ったやわらかな音楽達は

優しい村人の心と、逗留する旅人の心を、豊かに満たしていった。

 

 

時は過ぎ、やがてある初夏の昼下がり

アンナは小さな礼拝堂で結婚式を挙げた。

そして誠実な新郎と共に、彼の国へと旅立って行った。

 

しかし、村には今朝も天上の音楽が流れている。

森の精霊達が、アンナの指の動きを真似て、鍵盤の上で踊っているのだ。

私は、その演奏が始まると家を出て、山を登り始める。

枝や落ち葉を踏みしめる私の足音は、もはや聴こえてこない。

精霊達が、この時間だけはオルガンの音だけを響くようにしているようだ。

そして、いつものように、私は神への感謝の祈りを捧げるのであった。

 

 

 

[著者後記]

チェンバロを持って千葉へ仕事に行った時

冷房の無い建物の中の大きなオルガンに出会った。

夏場は暑くなるので、窓を開けているのだが

鳥がパイプの中に詰まってしまうというアクシデントがあると聞いた。

その時、思いついたファンタジーである。

 

オルガンのパイプは長さによって音程が変わる。

だから、パイプの中で精霊達が上下すれば

1本のパイプでも音楽を奏でることが出来なくもない。

 

舞台にした森の礼拝堂にも、モデルがある。

録音の時に訪れた、山梨の清春白樺美術館にある礼拝堂である。

山梨へ赴かれる際には、是非立ち寄っていただきたい場所である。

 

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

10/29 楽器

「大吉君」

7/17 動画

音の影

7/15 作曲

テノヒラ未来

3/ 26 動画

冬の終わり

2/ 4 作曲

獏飼い注意

1/24 作曲

ゆらゆら

1/12 動画

自我持参