サプライズの裏側

(参照動画)

 

 

かの国は、本当に毎回毎回、素晴らしいサプライズを用意してくれる。

いつだって、想定外の出来事が生じて、その度にそれを乗り越えて、そんな経験が、自分の技術やメンタルの筋肉にしてくれる。

今回も、もちろん最後に素晴らしいサプライズを隠して待っていてくれた。

 

オファーがあったのは2月の半ば。

ソウルのチェンバリストから、4月に3台のチェンバロ協奏曲のコンサートをやるので、調律に来て欲しい、とのことだった。

数日後には、その付近で2台のチェンバロ協奏曲もやるとの追加オファーが入った。早速日程調整に入り、どうせ韓国に行くのだから、合わせてメンテもやろうと思っていた。

 

しかし、どこでどう情報が漏洩しているのか分からないのだが、定期的に韓国でチェンバロメンテをしているオーストラリアの調律師からメールが来て、自分も5月に韓国に寄るので、今回はメンテを控えるよう要請があった。

どうやら、彼とはナワバリがかぶるエリアらしい。もちろん、同業者の先輩であり、良好な関係を壊す必要も無いから、彼の指示に従って、今回は基本的にコンサートだけの予定になった。

 

 

4月17日、初めて乗るイースタージェットという格安な航空会社の、小さなジェットに乗り込み海峡を越えた。2001年に初めて韓国へ旅をして13年目になるのだが、今回は記念すべき30回目の訪韓になった。そのうち6回は楽器を積み込んだ車でフェリーに乗り、海峡を越えた。合計した日数にすると、235日目の韓国訪問になる。数字だけみると、なんだか公安に目をつけられそうな頻度で自分でも驚いた。

 

私は複数の楽器を同調する時、アシスタンをつけることにしている。メインの楽器を最初に調律して、その楽器の音を出してもらって別の楽器に基礎オクターブをコピーし調律してゆく。その為、今回は若いチェンバリストに同行してもらった。日頃の仕事で多くの借りがあり、韓国で美味しいものでも御馳走して誤摩化そうという魂胆である。しかし、ソウルに行く前日、彼女は凄い情報をもたらした。

 

「クリスティーネがソウルにコンサートに来てるんだって。私達もソウルに行くことを伝えたら、是非一緒に食事しようと誘われたんだけど…」

世界的な鍵盤奏者のショルンスハイム・クリスティーネとは、数年前に芸大で仕事を御一緒させていただいた。その時、一緒に埼玉スタジアムに、浦和レッズ応援に行ったほどのサッカー好きであり、演奏も人柄も魅力的な方だった。

 

今回は旦那さまと一緒に訪韓しているとのことで、我々は仁寺洞のホテルにカバンを置くと、すぐに待ち合わせの場所に行った。

クリスティーネとは久しぶりの再遇であり、医者の旦那様には初めましての挨拶をしながら、私はハタと気付いた。私は英語が全くダメダメなのだ。仕方なく会話はアシスタントに任せ、笑顔を貼付けた地蔵と化していた。

 

クリスティーネの希望で日本食屋に落ち着き、コンサートの日程を通訳してもらい教えてもらった。そして我々のコンサートの予定と照合しながら、どうやら最終日のコンサートなら聴きに行くことができるらしいことが分かった。クムホホールは何度もコンサートで行ってるので場所も分かる。お互いの韓国での健闘と再会を約束しながら解散した。

 

 

今回のコンサートは、芸術の殿堂という文化施設の敷地内に建つ音大で行われるものだった。ソウルのチェンバリストに預けてある調律工具カバンを取りに行き、早速音大へ向かった。今回使われる楽器をメンテしなければいけない。久しぶりに訪れる部屋の楽器を診て、毎度のことではあるが愕然とする。弦は切れたまま、ツメは折れたまま、足りないジャックも前回より増えている。ええい、ままよ、と何とか使える状態にして初日は暮れていった。

 

2台チェンバロの日、リハギリギリまでホールは使えないことが分かった。まあこれくらいのことで驚いていては、ソウルで仕事など出来ないのだよとアシスタントに説明している私の肩は怒りで震えていた。舞台の外で調律を終えてリハーサル。リハ終了も押しまくって、まあこれくらいのことで怒っていては、ソウルで仕事など出来ないのだよとアシスタントに説明している私のハラワタは、そのままモツ煮になりそうなくらい煮えくりかえっていた。

 

無事にコンサートが終わって、3台の日には、もっとちゃんと調律の時間を取るように責任者の教授に懇願した。教授は快く了解してくれた。具体的な数字を並べながらタイムスケジュールを確認しあった。これで次回は楽勝だ!安心して安定した響きを演奏者に届けられると安堵した。まあこれくらいのことで安堵していては、ソウルで仕事など出来ないのだよ、と気付かないまま…

 

迎えた3台チェンバロの日。楽器は何故かまた舞台の外に並んでいた。ホールの中ではオルガンのレッスンが行われている。すでに約束の時間なのに、これはどうしたことだろう。いぶかって、教授の部屋へすっとんで行くと、何故かリハギリギリまでホールに入れないと笑顔で説明された。約束が違うと食い下がるが、申し訳ないと謝られた、笑顔で。仕方なくアシスタントになだめられながら3台の同調にとりかかった。温度が全く違う場所なので、ホールに入れた瞬間から狂うことを分かりながら…

 

3台の楽器の音の飛び方や音色を考慮して、配置に関しては積極的にアドヴァイスして位置が決まり、リハーサルは滑り出していった。プログラムを見ると、まだまだ残ってる曲はあり、このままのペースだと3台の調律は開場ギリギリになる。約束では1時間半もらえることになっている。照明で楽器は暖まってきており、チェンバロはベロベロに狂ってきている。そして全てが終わったのが開演40分前だった。それから3台のピッチを合わせての同調など、どこの誰が出来るのだろうか…

 

まあこれくらいのことで呆然としているようじゃ、ソウルで仕事など出来ませんよね、と何故かアシスタントに諭され、私達は調律にとりかかった。40分で550本の弦を合わせるのである。どうやれば可能なのか分からないのだが終わらせた。休憩調律はもっとマッハだった。がしかし、コンサートの中で3台の音はズレていなかったのだから、実に不思議である。パニクっていた私を、冷静にしてくれたアシスタントに感謝するばかりな現場になった。

 

 

今回は、コンサートの合い間の日程は、オーストラリアの調律師のナワバリ以外の楽器を2台メンテしただけで、あとは遊び呆けていた。明洞の実弾射撃場に行き、私は95点という高得点を叩き出したものの、アシスタントは98点というゴルゴな成績を残し撃沈したり。プロ野球観戦に行き、応援してるチームの圧勝と信じ込み、寒いのでホテルに帰ってテレビ中継を見れば、まさかのサヨナラ負けを喫したり。普段行かない場所に、のんびりと観光も出来た。

 

コンサートが終わって調律カバンをチェンバリストの家に置きに行き、最終日は、何故かソウルの大きな動物園に行った。大好きなゾウの前で、ずっと映像を録画してる日本のオジサンは、さぞ奇異に思われたことだろう。そして、今夜はクリスティーネのコンサートを聴きに行く為に、早めにホテルに帰っていた。正直、私も疲れが出始めていたので、少し昼寝が出来るくらいの余裕をもってベッドで仰向けになってボンヤリしていた。

 

言っておくが、とっておきのサプライズは、ここから起きたのである。

本番の調律時間が無いだの、照明で温度が変わるだの、この国では、もはやサプライズの領域には入らないのである。

 

ホテルの部屋で、動物園で撮ったゾウの動画を、エヘヘとニヤケながら見ていると、突然アシスタントの携帯が鳴った。そして何やら英語で会話をして、顔色が変わっていく。どうしたのかな。マッカーサーでもやって来たのかな?

すると、クリスティーネがすぐにホールに来るように言っている、楽器にトラブルが起きたらしい、などと言い始めた。は?無理無理。もう工具カバン無いし、などとヘラヘラしていたら怒られ、すぐに着替えてタクシーに乗せられた。

 

ホールに到着してみると、韓国の調律師がフォルテピアノを前に、難しい顔をして右往左往していた。隣には楽器の持ち主の演奏家も腕を組んでいる。クリスティーネに呼ばれて来た旨を告げると、フォルテピアノを治せるかと問われ、工具を貸してもらえれば大丈夫と告げた。そして、慣れない他人の工具を借りながら、シャンク折れを修理し、バックチェックを治した。6オクターブのウィンナーメカのピアノだった。

 

修理が終わる頃、韓国の調律師は楽器のオーナーに何やら交渉を始めた。オーナーの演奏家は日本語が少し話せるので、通訳を頼んでいるようすである。そして、本番の調律も是非お願いしたいと申し入れてきた。いろいろ逡巡しながら、大切なのはコンサートなのだと思い、それを受けることにした。何を躊躇したかは後述する。そして、今度はたっぷりと時間をもらい調律し、用意してもらった座席で、あっという間に2時間が過ぎるほどの充実した演奏を聴かせてもらった。

 

かくして、緩急がつきすぎた30回目のソウルの日々が終了した。多くの人々と接し、美味しいものをいただき、怒って笑って、感動すらもらった日々だった。何度来ても、この国は様々な新しいサプライズがあり、それがまた魅力のひとつにもなっている。でも、その経験から抱く感慨は、いつだってひとつの場所に着地する。

 

 

クリスティーネのコンサートで調律を引き受ける時、私は少しだけ迷った。それは、現場を担当していた現地の調律師への配慮である。現場を全うしたい責任感と、それを誰だか分からない人に任せなければいけない彼のプライドへの懸念だった。ただ、今回はその申し出を彼自身が言い出したので、私は引き受けることにした。彼は私に工具カバンを預けると、さっさと帰って行った。よほど避けたかった現場なのかも知れない。

 

私は2002年のツアーから韓国で仕事をする機会に恵まれている。その前年に個人旅行で訪れた時、この国で仕事をしてみたいなあと思い主要な大学を巡ったり楽器店に行ったのだがチェンバロには出会うことがなかった。がしかし、ツアーに行って知り合ったチェンバリストを通して、人と楽器を紹介してもらい毎年幾つものメンテやコンサートで赴いている。

 

いつだってサプライズがあり、同時にサプライズと感じるのは、“日本の非日常”でしかないことに気付き、それはつまり日本の日常が非常に恵まれているということを知り得たのだった。日本でしか仕事をしていなければ決して気付くことのなかった場面だったろう。

 

西洋音楽の演奏者と、その楽器の製作者や技術者が存在していること。それは、ちょっとしたボタンの掛け違いで、在り得なかったこともあるのだ。現在の韓国のように。日本で当たり前と思えていることは、欧米以外の地域では日本だけが奇跡的に充実していて、世界的にはまだまだ日常なんかではないのである。

 

韓国でのメンテも日本の日常とは大きく異なっている。日本でなら、工房に運び込めば一週間で完璧に回復できる状態の楽器を、限られた時間や工具で、なんとか最善の状態に復帰させなければいけないのだ。まず楽器に対峙した時、何を優先して何を捨てるのか、技術的な四捨五入をして、それから作業に取り組まなければいけない。技術者として、おおいに試され、おおいに鍛えられる現場なのである。

 

サプライズを笑い飛ばすことは容易である。しかし、私のような音楽の素養が無い者が楽器の技術者をやりながら生活できている、この国の先人達が築きあげてくれた日常に感謝せずにはいられない。ほんの少しの角度の違いが、時間という長い辺を過ぎた時に、距離は大きく離れてしまうように、奇跡的な日本の日常に、畏敬と感謝を抱かずにはいられないのである。

 

そして、そうしたことに気付いてしまったからには、かの国での仕事は益々誠実さが要求される。現地の技術者と交流を計りながら、チェンバロ技術者を育てるのも、ひとつの感謝の印になるはずだろう。楽器製作家が誕生するように仕組んでいくのも感謝の具現になるはずだろう。そのために、自分は何をしなければ行けないのか、真剣に悩みながら、これからも訪韓を繰り返すことだろう。

 

日常というのは気付きにくいものだけど、それが別の場所で新たな日常として浸透していっても、浸食されるものでも増減するものでもない。いつか大好きな隣国で、恵まれた日常が潤う頃、残念ながらサプライズは無くなってしまうかも知れない。しかし、少しでも早く、そんな残念を噛み締めてみたいものだ。その残念の裏側には、かの国の多くの笑顔が待っているはずだから。

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

10/31 動画#73

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10/ 1 作曲#115

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1/17 動画#68

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1/ 8 作曲#105

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