1:コンタクト
最初の連絡は電話だった。
「はい、もしもし」
『かやのさんでしょうか?調律をお願いしたくてお電話致しました』
女性の声である。
そして、ピアノの状態や住所等を聞き、最後に質問した。
「失礼ですが、うちの連絡先は、どなたかからの御紹介でしたでしょうか?」
『いえ、電話帳を調べて電話させていただきました』
こと時、ふと違和感を感じた。
(電話帳には、“かやの”でなく屋号で登録してあるのに、何故私の名前を知っているのだろうか…)
それでも、約束した日になって、教えていただいた住所のお宅へ向かった。
がしかし、その番地は存在していなかった。
住所を聞き間違えた可能性があるので、慌ててその場で電話してみる。
しかし、電話の相手は、全くの別人だった。
(いたずらだ…やられた…)
2度目の連絡はFAXだった。
お世話になっているチェンバロ製作家のK氏からFAXが届いた。
[かやのくん、甲府はお疲れさまでした。またそのうち、ゆっくり飲みながら打ち上げをしましょう。
さて、メンテナンスをお願いしたいのですが、連絡を取って行っていただけますか?]
そして、先方の連絡先が書いてあった。
早速連絡してみたが、相手は全くの別人だった。
連絡先を書き間違えたのかと思い、K氏に電話をいれてみた。
ところが、そのようなFAXを送っていないという。
しかし、送られてきたFAX用紙は、普段送られてくるK工房の柄で、文体も文字も独特な彼のものである。
ふと、FAXの端に目をやった。そこには、送信元がカタカナで印字されているのだが
なんとそこには、コンビニで送信した記録が残っていた。(誰が、どうやって…)
2:マンション
私が住んでいるマンションは、池袋まで20分足らずで行けるせいか、池袋の音大生が大勢住んでいる。
朝9時から夜9時まで防音対策が取られているとはいえ、ピアノを中心とした様々な楽器の音が聞こえてくる。
窓を開けている季節などは、それは賑やかなものである。
私も仕事がない休みの日には、古いイースタインのアップライトで作曲などをして、その喧噪に参加していることもある。
しかし、このマンションの住人には、自分が調律師であることは話していない。
なんとなく近過ぎて仕事がしにくいからである。
いずれにしろ、隣に住む人に関心など無い一人暮らしの集合なので、それはそれで居心地は良かった。
三度目の連絡もFAXだった。
[加屋野さま、韓国出張はいかがでしたか?おいしいものを沢山召し上がっていらしたのではないですか?
落ち着きましたら、また家の楽器を診ていただきたいので、御連絡をお待ちしております。]
その文字と文体は、確かに私のお客さんの女医さんのものだった。しかし、彼女に出張の話などしたことは無い。
そして再びFAXの端を見てみると、やはり同じコンビにから発信されていることが分かった。
その後も、何度か奇怪な連絡が入った。しかし、相手が誰であるのか特定できる材料はひとつも無かった。
誰が、何の目的で、このような悪戯をしているのだろうか。
いったいどうやってFAXの文字まで真似することができるのだろうか。
相手から送られるFAXやメールの情報によると、私の仕事のスケジュールや
仕事で出会う演奏者やお客さんを、ほぼ把握しているようなのである。
私は自営だから、自分のスケジュールを他の人に知られているはずはないし、人に話す必要も無い。
誰かが部屋に侵入した形跡も無い。では、いったいどうやって…
3:しっぽ
相手の尻尾を掴んだのは、出張先で受けた電話だった。
私は、自宅にかかってきた電話を携帯へ転送するサービスに加入している。
すると、携帯には相手の番号がナンバーディスプレイに表示されるのである。
「あの、ピアノの調律をお願いしたくて、お電話差し上げました」
そして、いつものようにピアノの状態や住所などを聞き、約束の日時を決めて電話を切った。
しかし、走り書きした相手の電話番号と、携帯に表示された番号が違うことに気付いた。
(もしや、これは犯人の本当の電話番号では…)
私は慌てて、走り書きした番号に電話をかけてみた。すると“現在使われておりません”というアナウンスが流れてきた。
ということは…
私は、すぐにこの携帯に表示された番号にかけてみたい衝動にかられたが
ここで私が気付いたことを相手に知られてはマズいような気がしていた。
なんとなく逃げられる予感がしたからである。
それで、まずNTTに番号先の名前を問い合わせたが、残念ながら個人情報を教えられないと断られてしまった。
しかし、その犯人の番号を口に出している時、とんでもないことに気付いたのである。
048456××××と、最初の6桁までが私の自宅の番号と同じなのである。
ということは、犯人は私の近所に住んでいることになる。
私は、どうにか犯人を突き止める為の方法を思案した。が、残念ながら良いアイデアは浮かんでこなかった。
4:私のメロディ
チャンスは思わぬタイミングでやってきた。
その日、私はいつものように仕事から帰って来て、マンションのエントランスでエレベーターを待っていた。
私の部屋は7階建ての6階にあるのだが、エレベーターがひとつしかないので、しばしば待たされることがある。
その日も、ゆっくりと下降してくるエレベーターランプを睨みながら立っていた。
すると、ふと聞き慣れたメロディーが聞こえてきたのである。
いや、聞き慣れているのは自分だけで、在り得ないメロディーが聞こえてきたのである。
それは、私が作曲したピアノ曲だった。
私は音のする方向に歩いて行った。ピアノは102号室の扉から漏れてきていた。
(何故、俺の曲を知っているのだろう。ああ、窓を開けて作曲していたから
きっと耳コピして弾いてるのだろう…俺の曲もマンザラじゃないってことかな…えへへ)
恥ずかしながら、最初はそんな風に勘違いしながら有頂天で聞いていた。
しかし、左手の和音の動きが随分と前に作曲したもののままで
最近はもっとカッチョ良くしてあるのに残念だ…などと考えていた。
が、一瞬、閃いた。
(これは、犯人が弾いているのではないだろうか?
随分前の書き直しをする前の楽譜を見ながら弾いているのではないだろうか?)
私は携帯を取り出し、1回しかないチャンスに賭けてみることにした。犯人の番号に電話をしてみたのである。
勿論、非通知設定にすることを忘れない。
1回…呼び出し音が、携帯から虚しく流れる。
2回…何故か心臓の音の方が大きく聞こえてくる。
3回…いや、犯人じゃなかったのか?とちったか?
4回…と、その時102号室の扉の向こうで電話の電子音が聞こえた!
続いて、私の曲を弾いていたピアノの音が止まった!
(犯人だ!こいつが犯人だ!)
私は、まるで自分が悪いことをしたかのような緊張感に縛られて、慌ててエレベーターホールに駆けて行った。
何故か携帯を持つ手が汗ばんでいる。犯人を見つけた喜びなんてものは湧かず、なんだか狼狽してしまった。
運悪くエレベーターは上昇中で、まだしばらく戻ってくる様子は無い。
(ちくしょう、犯人に目撃されたら、どうしよう…)
まるで、どちらが犯人か分からないような心境で、エレベーターランプを睨んでいた。
翌日、私はマンションの外側から102号室を観察してみることにした。
すると、102の玄関の前は、手すりをはさんでゴミステーションになっていることに気がついた。
それは、1階の住人が手すり越しにゴミを投げ捨てたことで気付いたものである。
(そうか、ゴミか…)
その瞬間、全ての疑問が一気に解決していった。犯人は、私の捨てたゴミから郵便物やFAXの情報を得ていたのである。
私は、生活ゴミと書類ゴミは分別して捨てている。犯人にしてみれば、非常に徴収しやすいゴミだったことだろう。
(そうか、そうだったのか…)
5:復讐
犯人の顔は見ていないが、どこに住んでいる奴かは分かった。電話の声からして女性であることは間違いない。
そして、犯人の手口も分かった。残された問題は“復讐”である。
これだけ翻弄されたのだから、タダで済ますつもりは無い。
警察は、証拠不十分で取り合ってくれないだろう。実際に経済的ダメージを受けたわけでもない。
いわばストーカーと同じで、精神的ダメージを受けたに過ぎない。ならば、精神的ダメージを与えてやろうじゃないか。
どうやったら、相手は最もダメージを受け、二度とこんな真似をしないよう反省するだろうか。
そこで思いついたのが、この原稿を会報に投稿し、その下書きをゴミとして廃棄する手段である。
恐らく、102のあなたは、これを読んでいることだろう。
そう、あなたのやったことは、いまや全国に三千人いる調律師協会のメンバーに暴露されたのだ。
二度とこのような真似はやめて欲しい。
6:追記
ここまでが会報に寄稿した部分である。(原題:もう一人の読者へ)
しかし、この記事を読んだ後、彼女は動いた。
簡単に、どのようなコトが起こったか記述しておこう。
大雑把に言えば、彼女は引っ越し、そして海外で活躍しているようなのだ。
記事の下書きを読んだであろう彼女は、一週間も経たないうちに逃げるように引っ越した。
何もそこまでしなくてよいのに、と申し訳なく思ってしまうほどの反応だった。
私が彼女の引っ越しを知ったのは、大家さんからの連絡を受けたことによる。
マンションの大家さんは、私が調律師であることを知っているから、相談を持ちかけてきたのだ。
それは、102号室の住人が家財道具をほとんど残したまま引っ越し、その中にピアノがあるので
処分して欲しいという内容だった。
約束の時間に、私は大家さんと共に102号室に入った。会話の中で、さりげなく彼女の名前も知ることができた。
その部屋は、大きな家具などがほとんど残ったままで、まだ生活の痕跡が充満しているようだった。
簡素で無駄のない家具の配置は、とてもセンスの良さを感じるほどだった。
しかし、それは大きな驚愕によって、簡単に淘汰されてしまう前奏曲にすぎなかった。
国産のグランドピアノの鍵盤蓋を何気なく開けて、私はのけぞった。
いわゆる白鍵の部分が、真っ赤なのだ。
背筋から突きぬけた寒気が一段落すると、少しだけ落ち着き、赤い鍵盤の観察に入った。
大家さんも「少し変わった子だったけど、こんな趣味があったとは」などと腰がひけている。
腰をかがめて良く見ると、赤い鍵盤は塗装されたものではなく、赤い素材で作られている。
特注なのか、購入してから誰かに貼り替えを依頼したのか分からないが、店頭に並んでいるものではない。
そして、音を確かめる為に赤い鍵盤を押してみて、激痛と先ほどよりも大きな衝撃に包まれた。
鍵盤と鍵盤の間の隙間に、カミソリの刃が立てられていたのだ。
そんなことを予想していなかった私は、薬指を軽く切り出血した。
まるでホラー映画か、サイコなサスペンスの一場面に登場させられた気分である。
恐る恐る低音から注意しながら鍵盤を押してみると、全ての鍵盤の隙間に刃は立ててあった。
果たして、この鍵盤は、やがて私がこの部屋へ訪れることを予想しての復讐なのだろうか。
大家さんは、私と彼女のインサイダーな戦いなぞ知らないので、「売り物になるかね?」などと尋ねてくる。
しかしカミソリの刃を注意深く見てみると、かなり長い時間が経っていることがわかる。
ということは、彼女は普段からこのミスタッチを許さない拷問鍵盤で練習していたことになる。
私は、会報なぞで宣戦布告してしまったことを激しく後悔しはじめた。相手は只者ではなかったのだ。
そんな半分パニクった状態で、それでも音を聞いてみたくて、黒鍵だけを恐る恐る弾いてみる。
そして今度は、本業の分野で驚かされることになる。素晴らしい響きと音色のピアノなのである。
毒々しい真っ赤な鍵盤から想像もつかないほど、深い輝きを自然に広げてくれるピアノなのだ。
私は大家さんに、鍵盤さえ交換すれば売り物になると告げ、修理を引き受けることになった。
そんな事件から十二年が過ぎた。
慌ただしい日々の中で、すっかり忘却の澱に埋もれていたはずの事件が、再び鮮明になったのは先週のことである。
彼女のピアノは、鍵盤を貼り替え、カミソリも外し、健康な状態に仕上がったとたん、すぐにSさんが購入した。
調律の仕事に興味のあるSさんは、フェイスブックでも私の友人になって数年が経っている。
そんなSさんが先週、とある動画をアップしていたのだ。「いいね」もたくさんカウントされている。
それで私は、その動画を観た。すると、あの事件がゾンビのように記憶の彼方から復活してきたのだった。
なぜならば、その動画の中でピアノを弾いている女性の名前は、大家さんが教えてくれた102の住人のそれだったのだ。
しかも、抜群の技術に支えられて、類希な個性が音楽の奥行きを特別なものにしている。
その動画はコンサート中の場面だったらしく、演奏が終わって鳴り響く拍手と歓声は
まるでサッカースタジアムのようだった。
私は、ユーチューブで彼女の名を検索し、その他の演奏を幾つも聴いた。
ありえない程、素晴らしいものばかりだった。
私へ送られた悪戯や、赤いカミソリ鍵盤だけでも、只者では無いと思ったが
もっとレベルの高い次元でも、只者では無い人物だったようだ。
今思えば、こんな凄い人に、私の曲を弾いてもらえていたのだと思うと
仲良くなっておけばよかった、などと調子のいい後悔を楽しんだりもした。
Sさんに、あなたのピアノの前のオーナーは彼女だったのですよ、と教えてあげれば大喜びすることだろう。
私は、この記事をホームページに投稿するタイミングをずらすことにした。
ニッピの会報に寄稿した記事に、大幅に追加したこの記事を、ホームページ開設の時には載せないことにした。
最初から載せてあると、Sさんも彼女も、この記事を読んでしまう可能性を考慮した故である。
しかしながら、これだけの驚愕の事実を墓場まで持っていくのは、あまりにも惜しすぎる。
幾つかの事象で検索すれば、もしかしたら該当者が絞られてしまうかも知れないが
彼女の名前だけは墓場まで持って行くことを胸に誓いながら、筆を置くことにしよう。
[筆者後述]
もしかしたら、読者の中にも、すでに彼女の動画を見た方がいるかも知れない。
小柄で華奢な風貌からは想像しがたいパワフルで独創的な演奏をする、今や時の人となっている彼女である。
会報に寄稿した時点では、このような展開が待っているとはつゆ知らず、犯人呼ばわりしてしまった…
全く以て申し訳ない限りである。
と、ここまでが全てフィクションである。
音楽業界を舞台としてサスペンスは書きにくい。
殺したり、痛い言葉を使わずにサスペンスっぽいものを書きたくて挑戦した作文である。
書きながら思ったのは、出来るだけリアリティがあって、ほんの少しだけ虚構を含ませる。
その連続で、なんとなく現実的でない領域へ導き出すことが出来るのでは、ということだった。
いつかチェンバロの世界でも書いてみたい領域でもある。