ケンジの時効

「ツチノコ殺人事件」 ケンジの時効

 

 

「そもそも、なんでツチノコなの? それも殺人事件って、何これ」

『まぁいいから、読んでみな』

「これって、健二さんが書いたんでしょ? 健二さんって小説も書くんだ、知らなかった」

『小説になってるかどうかなんて、読んでみないと分からないだろ?』

 

「あれだけの楽器を作るオジサマなのに、あんまり文章を書くのは得意でないみたいね」

『当時から俺もそう思っていたんだけど、あの夜は珍しく健二が勝負するって言い張ったんだよ、作文対決で』

「いつも、とってもオシャレで、おしゃべりもあんなに面白いのに…なんで作文対決なんかすることになったの?」

『あの頃は、彼の工房が近くにあって、しょっちゅう仕事帰りに寄って遊んでたんだ。まだ君の生まれる前のことだけど』

 

「お父さん、急にどうしちゃったの? 私のこと“君”なんて呼んじゃったりして!」

『まだ名前が決まってなかったんだよ。まぁその話は後にしておこう』

「ふぅん、なんか変だけど、まいっか。お父さんと健二さんは、昔から友達だったわけだ」

『あいつが大学4年の時だったかな。大学生だった健二は、夏休みに九州から上京してきて、それが最初だったと思う』

 

あの頃、俺は調律師として独立して、近所のチェンバロ工房のコンサートサービスの手伝いなんかもしていたんだ。横浜の美術館に楽器を運んで、搬入の時に学生が手伝いに来るからと、事前に連絡をもらっていた。そこに現れたのが、大学生の健二だった。やたら調子良くベラベラ喋る男の子だった。俺は当時、作務衣を来て丸刈りだったから、彼は俺のことを本気で、どこかの寺の坊主だと信じてたらしい。それが、彼の就活だと知ったのは半年後、あの時の大学生がチェンバロ工房に就職して楽器製作の修行を始めてからのことだった。

 

それから頻繁に会う機会が重なって、いろんな話をするようになったんだ。年齢こそ離れているものの、どうやら俺たちは同じ誕生日であることがわかって、なんとなく面白い関係になっていって。ただ、不思議なことに誕生日以外は、全く異なるタイプの人間だった。やがて彼が独立して、彼の工房が俺の家の近くにあったから、時々仕事帰りに家に寄るようになって。感性も性格も異質すぎる者達同士でも、尊重しあえれば、これはこれで仲良くなれることを、彼から始めて教わったよ。人間嫌いが加速していく中で、健二だけには、唯一心を開いてる俺がいたんだ。

 

やがて旅にも一緒に行くようになった。俺は飛行機嫌いだったから、外国でも出来るだけ近くにしようと言い張って、韓国や台湾に行ったんだ。あの頃のアジアは、まだ友好的な関係にあって、自由に旅行が出来たんだ。そんな頃、一番近いヨーロッパに行ってみないかと、彼に提案をしたんだ。それはウラジオストックというロシアの街なのだけれど、飛行機で2時間程度の距離にあって、写真を見る限り街並みはすっかりヨーロッパで。健二もすぐに話に飛びついてきて、暑い季節になったら旅に出ようということで、俺たちは盛り上がっていた。

 

けれど、俺の方が行きづらくなってしまってね。お母さんのお腹の中に、君がいることがわかったんだ。遊んでばかりいられなくなって、どうしようかと彼にも相談したんだ。すると彼は、珍しく祝福してくれてね、驚いたよ。それで、旅に行かなくても旅気分を味わえる方法がある、と言い出したんだ。架空の旅の話を書いてみましょう、そうすれば空想の中で旅に行けますよ、と。俺は正直驚いたよ。彼にそんなファンタジーな側面があるとは思わなかったからね。そんな風に、俺たちは異次元の旅にでるという、新しい遊びにふけって行ったんだ。

 

「ふぅん。でも、これは旅物語でなくって、ツチノコ殺人事件でしょ? ファンタジーとは程遠いけど」

『うん。ある夜、彼は突然作文で対決をしようと言い出しんだ。それもお母さんも含めた3人で。』

「え?お母さんも書いたの?読んでみたい!」

『後で読んでごらん。俺は作文で健二に負ける気がしなかったから、軽い気持ちで了解したんだ』

 

で、どんなテーマにする?と尋ねると、彼は突然「ツチノコにしましょう」と言い出した。ツチノコって、あのツチノコの事かい? 当たり前じゃないですか、他にツチノコがありますか? 童話でも良いのかい? 童話だとモクさんに勝てないですから…殺人事件にしませんか? 殺人事件って、お前書いたことがあるのか? ないですけど、ツチノコはヘビですから、噛み付かれて毒にやられるって感じでどうでしょう? あのなあ、ツチノコに殺されたら殺人事件じゃなくて、それは事故になると思うんだが。すると彼は、しばらく考え込んでしまって…

 

そして、彼は「負けた人はウラジオストックの旅費を、奢ると言うのはどうでしょう?」と提案してきたんだ。そこまでして、ウラジオに行きたかったのかと、初めて彼の心境を察してね。母さんも、同じことを思ったらしく、その掛けに乗ったんだ。ただ母さんは身重な体だったから、私は行けないけど、負けたら旅費は支払います、と付け加えたんだ。で、俺は勝てる気しかしてなかったから、勝った人は現地でピロシキとボルシチを驕ることにしようと提案し、彼は何故か喜色満面で帰って行ったんだ。不思議な夜だったよ。

 

「そんな提案をするくらいだから、健二さんは、よっぽど勝算があったの?」

『とんでもない、さっき読んだだろ?彼の小説。最初から負ける覚悟だったんだよ。あれは作文とも言えないレベルだし』

「ちなみに、お父さんは、どんなツチノコ殺人事件を書いたの?」

『これだよ。俺は記憶力こそないが、時々未来が鮮明に見えることがあるんだ』

 

「これって…今の私たちの会話そのままじゃない! あとで最後まで読んでみるわ」

『そう。あの時、15年後の今夜の君との会話がリアルに頭の中をよぎったんだ。もっとも、君の名前だけは分からなかったけどね』

「お父さんは、お母さんのお腹の中の赤ちゃんが、男の子か女の子か、わかっていたの?」

『勝手に男の子だと思ってた。そうしたら木太郎という名前にしようと思ったんだけれど、母さんに却下された』

 

「女の子だったら、どんな名前にするつもりだったの?」

『国際的に通用する名前にしようと思ってたから…キャサリンかな』

「キャ、キャサリン? ありえない… っていうか、それって健二さんの奥さんの名前じゃない!」

『そうなんだ。あの後俺たちはウラジオストックに行き、健二はそこでキャサリンに出会うんだ』

 

二日目の朝だったと思う。俺たちは早起きしてモンタオ駅へ向かった。ホテルで朝飯を食ったばかりなのに、彼はキオスクでピロシキを買えと催促してきたんだ。昨日からすでに4つ目のピロシキで、腹壊すぞと注意したが、彼は聞き入れなかった。仕方なくピロシキを買って北へ向かう列車に乗り込んだ。むかい会う座席の反対側に乗っていた娘さん達の一人が、アメリカから旅行に来ていたキャサリンだった。キャサリンは健二の洒落た服装を見て、目を輝かせて会話が弾み、健二はまだ温かかったピロシキを彼女にプレゼントして…そんな旅になった。

 

やがて、帰国後もキャサリンとは連絡を取り合っていたらしく、ある夜恥ずかしそうに報告しに来たよ。「実は僕も結婚することになりました」ってね。相手は誰だい?「え、キャサリンに決まってるでしょ」一応祝福はしたものの、少し気になったんだ。彼には、当時彼女がいたからね。土井典子さんっていう方だった。土井さんとは別れたのかい? 「それがここ数ヶ月連絡が取れないんですよ。まあ、振られちゃったってことかも知れませんね」いやにさっぱりしていたのは、恐らくキャサリンとの輝く未来に夢中だったからだろう、そんな風に思っていたんだ。

 

ところが、それからしばらくして、土井さんが腐乱死体で発見されたニュースが報道されて、びっくりして健二に報告したんだ。遺体の腐乱が激しかったので、警察は自殺と他殺の両面から操作をしていたようだ。解剖の結果、微量の毒物が発見されたことも発表された。けれど、結局捜査は難航して迷宮入り。健二は、それほどショックを受けてる様子もなく、それはそれで安心しながらも、少々おかしいなとも思ったんだ。やがて、君が生まれ、健二も結婚して、今に至るんだけれど… 昨夜、不意にこの作文対決のことを思い出すきっかけがあってね。

 

「それは、未来の今夜、私にこの話をするためってことなのかな?」

『いや、ドイノリコって名前、略するとツチノコって読めるなっと思ってね』

「え?まさか…違うよね?偶然だよね?」

『もう一度、よく健二の作文を読んでごらん。実はそこに答えがあったことに気づいたんだよ』

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

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1/ 8 作曲#105

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