ねずみの恩返し

(BGMを聞きながらお読み下さい)

 

 

ノストラダムスの大予言か、はたまたグランドクロスで

地球が滅びるかも知れないと、密かにビビっていた1999年の夏

私は仕事の為にドイツのミュールハウゼンという街を訪れていました。

 

ミュールハウゼンは、ドイツのど真ん中に位置しているため

“ドイツのオヘソ”と呼ばれている、古い城壁に囲まれた小さな街です。

あの大バッハも1707年から1年間、オルガニストをしていたそうです。

様々な歴史的建築物が随所に残っていて、静かで情緒のある街でした。

 

この街には五日間滞在しており、宿舎はラットハウスの近くにある

「へフラー」というペンシオンでした。

ここのオーナーのひいおじいさんは、調律師だったそうです。

彼(アンドレアス・ヘフラー氏)の日記帳には

次のような物語が書かれていたので、ここに御紹介させていただきます。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

「ねずみの恩返し」

 

長く重い冬。すっかり陽が暮れて、仕事を終えたアンドレアスは

雪が残る細い路地を通って家に帰ってきました。

扉を開けようと冷えきったノブに手をかけると

そこには一枚のメモがはさんでありました。

 

【アンドレアスさん。申し訳ありませんが、今夜中に

 我家のピアノを調律してもらえないでしょうか?

 お待ち申し上げております。

 住所は、12ホルツシュタットラッセです。

            トーマス・ハッターマン】

 

アンドレアスは、ちょっぴり面倒臭そうに踵を返し

今歩いて来た道を戻り始めました。

ひっそりと静まったマリア教会の脇を抜けて

石畳の細い坂道を登りきったところに

トーマスさんの家はありました。

 

「こんばんは!調律に参りました!」

大きな古い扉が、静寂を濁すようにギギィーと軋みながら開くと

暖炉の明かりを背にして老人が立っていました。

口髭まで見事に真っ白なトーマスおじいさんは

人懐こい笑みをたたえながら、優しく迎え入れてくれました。

 

『急にお願いしたりして、本当に申し訳ないのう。

実は明日、6歳になる孫のカールが、

はるばる我家に遊びに来ることになってのう。

おばあさんが死んでからピアノはずっと放ってあったから

ちょいと診てもらいたいと思いついたんじゃ』

 

アンドレアスは、暖かいスープを御馳走になってから

隣の部屋にあったアップライトピアノの調律にとりかかりました。

そのピアノは長年調律してないとみえて、大分狂って傷んでました。

音やタッチの調整をようやく終えると、今度は掃除をするために

鍵盤を外し始めました。

 

すると、鍵盤の下に二匹のねずみが怯えるようにうずくまっています。

アンドレアスは、「こんなところで悪さをするネズミは

殺してしまうぞ!」と、ちょっぴり意地悪に脅かしてみました。

すると、ねずみ達はブルブルと震えながら言いました。

『調律師さん、どうか見逃して下さい。

 実はカミさんのお腹の中には赤ちゃんがいてここから動けないのです。

 絶対に悪戯はしないと誓いますから、今度だけは見逃して下さい』

「ピアノの部品を食べたりしないと、約束できるかい?」

『はい、絶対に食べたりしません!』

 

アンドレアスは、ねずみが可哀想になり

「トーマスおじいさんには内緒だよ」と言って

ポケットからチーズを出してそっと置き

ピアノを元通りになおしたのでした。

 

何も知らないトーマスおじいさんは

孫のカール君が来ることが、たいそう楽しみらしく

かなり御機嫌な様子で、アンドレアスに何度も

『ありがとう、ありがとう』と御礼を言いました。

 

 

それから一年が過ぎて、再びトーマスおじいさんの家へ

ピアノの調律に行く日がやってきました。

それは、ちらつく雪と一緒に、鉛色の重たい空が

今にも落ちて来そうな昼下がりでした。

 

トーマスおじいさんは、やはり大きな扉をギギィーと軋ませて

アンドレアスを迎え入れてくれましたが

なんだか今日は、とても淋しそうな顔をしています。

アンドレアスは昨年のことを思い出し、わざと明るく尋ねました。

 

「お孫さんのカール君には、喜んでいただけましたか?」

『ああ、去年は本当にありがとう。

 じゃが、カールは帰り道に事故にあって死んでしまったのじゃ。

 アンドレアス君。実はひとつ頼みがあるのじゃが

 聞いてもらえないだろうか…』

 

アンドレアスは、その頼みの内容を聞いて途方に暮れてしまいました。

その頼みとは、調律が終わったら、去年カール君が最後に弾いた

ショパンのワルツ7番を是非とも弾いて欲しいということだったのです。

実は、アンドレアスはピアノが弾けませんでした。

それなのに、トーマスおじいさんが、あまりに可哀想だったので

ついつい「わかりました」と答えてしまったのです。

 

アンドレアスは、ぐったりと重たい気持ちで調律を終わらせました。

そして鍵盤を外して掃除にとりかかりました。

すると、そこには去年会ったねずみがいたのです。

『調律師さん、この前は助けて下さって本当にありがとうございました。

 あれれ?何だかとても顔色が悪いですけど、どうかなさったんですか?』

 

アンドレアスはねずみに、自分がピアノを弾けもしないのに

トーマスおじいさんをがっかりさせたくないばかりに

ピアノを弾く約束をしてしまって悩んでいると打ち明けました。

 

すると『調律さん、それなら我々におまかせください!

 実はあれから90匹も子供が生まれてますし

 その曲はオイラもここで聞いて覚えていますから

 何とかなると思います!』

 

と言うが早いか、90匹の子ねずみ達がサササーッと

鍵盤の下やペダルの下に潜り込むではありませんか。

180個の瞳が父親ねずみの指揮棒を真剣に見つめると

密度の高い静寂がはりつめて緊張が極限に達していきます。

そして、父親ねずみが指揮棒を振り下ろした瞬間

子ねずみ達は一斉に鍵盤を押し上げたりしながら

見事にショパンのワルツを弾き始めたのです!

 

トーマスおじいさんは

隣の部屋で静かに鳴り始めた演奏に耳を傾けていました。

あの日のように、色褪せたクルミ材の椅子に深く固く座りながら

ワルツにじっと聞き入っていました。

左手にしっかりと握られたパイプから

消えてゆくために生まれた紫煙が、時間のようにとめどなく

常に変化しながら虚空へ昇ってゆきます。

優しさと悲しさが幾重にも刻まれた頬には

閉ざされた瞳から流れ出た思い出達が、ゆっくりと滑り落ちてゆきました。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

1901年2月22日付の日記帳に書かれたこの物語は

実はアンドレアス・ヘフラーさんの

ある発明のヒントになったようです。

それはピアノの自動演奏の機械でした。

 

子ねずみ達が必死になって持ち上げていた鍵盤の奥を

実際は機械の棒が突き上げて音を出す仕組みです。

ペンシオンに残されていたこの機械の図面には

とても感心させられました。特許が取れていたら

この物語も、もっと有名になっていたかも知れませんね。

 

それ以来、私はショパンのこの曲を聞く度に

小さなねずみ達が必死に鍵盤を持ち上げている映像を連想して

滑稽なんだけど、何だかちょっぴり悲しい気分になってしまうのです。

ドイツの小さな街で、偶然出会ったこのささやかな物語は

この冬で、ちょうど百年目を迎えます。

 

 

【著者後記】

この物語の構想は昔からあったのですが

いかんせん、その舞台にすべくイメージ通りの街がなく

ずっと文章にすることが出来なかったものでした。

 

1999年夏、私はチェンバリスト鍋島元子先生と

彼女のリサイタルの為に訪れた小さな街を歩いて

ようやく理想通りの舞台に出会うことができたのです。

 

我々が滞在していた宿舎のへフラーというペンシオンの

祖父の方を調律師だったことにして

彼の日記帳からの拝借というスタイルで

幾つかの物語を書いていこうと思ったのも滞在中です。

 

まだ「ねずみの恩返し」と、「チビ黒三度」という物語しか

書いていませんが、これからもアンドレアスの日記帳から

いろんな物語を登場させてみたいと思っています。

 

ちなみに、当時の構想で、アンドレアス・ヘフラーは

1863〜1948年の生涯と設定してあります。

 

 

 

 

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

10/29 楽器

「大吉君」

7/17 動画

音の影

7/15 作曲

テノヒラ未来

3/ 26 動画

冬の終わり

2/ 4 作曲

獏飼い注意

1/24 作曲

ゆらゆら

1/12 動画

自我持参