ゾウの恩返し 〜Dr.Morzanの書簡集より〜

「敬愛するドクトル・モーザンへ」

 

あなたからの突然の手紙をいただいて、私がどれだけ喜び

そして驚いたことか。恐らくあなたには分かりますまい。

 

あなたが研究の為に、アフリカなぞに行かれてるとは

私の友人の誰も知らず、想像もしておりませんでした。

かの地域は、砂漠が広がり、灼熱の日々との戦いでしかないと

何かの書物で読んだことがあります。

恥ずかしながら、私にとってアフリカとは

それくらい知においても遠すぎる異国でしかなかったのです。

しかし、まさかそこへあなたが行かれているとは。

 

私にとってあなたは、常に憧れで

時に嫉妬する程、魅力に溢れておりました。

学校の音楽の時間に、あなたの弾いていたピアノは

先生すら沈黙させてしまうほど繊細で大胆で

今でも私の心の中で響いているほどです。

ですから誰もが、あなたは音楽家になるだろうと

信じて疑うことはなかったものです。

そのあなたが、研究者になりアフリカへ赴任していると

手紙で知った時には…

 

父の工房でピアノ製作を引き継いだ私に

あのような手紙を送ってくださったことに

とても感謝しているのです。

それは、あなたがまだピアノを愛していることを知った喜び

そして私が造ったピアノを、あなたが弾いて下さる光栄。

父とも思案を重ね、あなたの注文通りのピアノが

ようやく完成しましたので送らせていただきます。

しかし何故、人間の聴覚では聴き取ることができない低音を

拡張して欲しいのかは、最後まで理解できなかったのですが。

 

それは、恐らくあなたの研究に関わることなのでしょう。

その理由を私が知っても、理解できる自信はありません。

あなたの希望通り、低音を6度拡張して

8オクターブ97鍵のピアノにしておきました。

少し大きめなサイズになってしまいましたが

それよりも、あなたのお気に召すかが、私にとって

最大の心配であり関心であります。

暑い国で、体を壊さぬよう神の御加護をお祈りしております。

 

                    ルートヴィッヒ」

 

 

 

 

『親愛なる我が友 ルートヴィッヒ

 

昨日、探検から帰宅すると、近所の住民が大騒ぎしており

何事かと思ったら、大きなピアノが運び込まれておりました。

僕は憂慮しております。

それは、この喜びの大きさを、どのように君に伝えるべきか

その術が無いということにです。

せめて君が好きだったあの曲を、遥かなるウィーンへ届けと

一晩中弾いてしまいました。

音色も音量も申し分なく、君がお父さんの後を継いで

立派な製作家になったことを確信しています。

 

僕の研究は、ある機関の特殊任務故、説明することは出来ないのですが

このピアノは全く別の目的で君に注文したのです。

 

昨年、タンケという街から数十マイル離れた集落に赴いた時のこと。

そこには、英国人が置いて行った小さなピアノがあったのです。

僕は、時間が許す限り、そのピアノを貪るように弾いたものです。

その時に、ある発見をしたのです。

 

ここアフリカには、様々な奇妙な特徴を持った動物がいます。

その中に、僕が好きになった鼻が長く耳が大きいゾウという動物がいます。

君も何かの図版で見たことがあるかもしれません。

彼等の動きは温厚かつ繊細で、まことに音楽的な所作で

見ていて飽きることはありません。

目の当たりにすれば、君もきっと気に入ることでしょう。

そして、そのゾウの会話がピアノから聞こえてきたのです。

 

ゾウは数マイル離れた仲間と、人間の耳では聴き取ることが出来ない

低い周波数で会話をしていると現地の人間から聞きました。

ある夜、僕がピアノのペダルを踏みっ放しにしていると

解放された弦が、様々な音楽を奏で始めたのです!

その後も度々同じ現象が起こり

それはゾウの群れが近くにいる時だということが分かり

ゾウの会話の倍音がピアノの弦を共振させていることを発見したのです!

それからというもの、ゾウの会話を楽譜にすることにしたのです。

 

ある程度、ゾウの言葉が理解できた頃

僕の方からゾウに話しかけたいと思うようになったのですが

そのピアノではゾウが会話している低音の音域が足りなかったのです。

それで、もう少し低い音程が出るピアノがあればと思い

君にあのような手紙を書いてしまったのです。

そして今、僕の元には、僕の想像を凌駕した

素晴らしいピアノがあるのです!

この感激を、どのように伝えたらよいのか…

本当にありがとう! お父上にも宜しくお伝え下さい。

感謝と共に、アレス・グーテ!

 

                    モーザン』

 

 

 

「敬愛するドクトル・モーザンへ

 

あなたが元気そうであることを知り、そして何より

あのピアノを気に入っていただけたこと

私は今、この上ない幸福に包まれております。

感謝なぞ、とんでもない光栄です。

私には、あなたの音楽に貢献できること以上の幸福は無いのです。

懸念するは、酷暑のアフリカで、ピアノのコンディションが

どのようになってしまうのか、それだけです。

 

ゾウという動物、図書館の図版で見て来ました。

何とも滑稽な格好をしているのですね。

資料の記述が正しいとすると、かなり大きな動物なのですね。

そして、アフリカでは地平線が眺められると記載されていました。

巨大なゾウという動物が、地平線を群れをなして

移動していく光景を想像すると、あなたの住んでいる世界が

とてつもなく異次元のように思えてなりません。

 

あなたの依頼で特別に造った8オクターブのピアノを

その後、数台製作して、こちらのピアニスト達に弾いてもらったところ

なかなか好評だったので、父とも相談して、私達の工房の

新しいレギュラーに加えることになりました。

つきましては、素晴らしいアイデアをくださったあなたに

この大きなピアノの名前をつけていただければと思っております。

父も、あなたからの便りを、とても楽しみにしております。

神の御加護をお祈りしております。

 

                     ルートヴィッヒ」

 

 

 

『親愛なる我が友 ルートヴィッヒ』

 

素敵な楽譜まで送ってくれて、本当にありがとう。

君の新しいピアノには、ベートーヴェンの音楽が

とても良く似合っています。

 

先日、ドイツから訪れたアンドレアス・ヘフラー君という調律師が

旅行中にわざわざ立ち寄ってくれて

君のピアノは再び健康を回復し、素晴らしい音楽が響いてます。

数万の鳥が一斉に飛び立ち、真っ暗になる真昼の空に

無数の星だけでまばゆく輝く夜空に、君のピアノは響いてます。

 

ピアノの名前の件ですが、“インペリアル”はどうでしょうか?

というのも、私が最近親しくしているゾウの名前なのです。

彼は、大きな群れのリーダーとして、また、その立派な体躯からして

君のピアノの威厳にまさしく相応しい存在なのです。

勇敢かつ優しい彼は、他の群れのリーダーからも尊敬されています。

 

ゾウと親しくしている、などと書くと

君は僕が気違いになったかと思うかも知れません。

そうではなく、本当に親しくしているのです。

前にも書いた通り、僕はゾウの言葉が少しずつ理解できるようになり

君が造ってくれたピアノのおかげで

ゾウへ語りかけることに成功したのです!

これは、君のピアノでしか為し得なかった奇跡なのです!

日々、喜びと感謝に溢れているのです!

 

何度かこんなことがありました。

アフリカには、象牙の密猟者が度々出没しており

その度にゾウの群れは殺戮され、無惨な光景が広がり

僕の心は悲しみと怒りが充満するのです。

それで、僕は現地の人々から様々な情報を受け取って

密猟者が近くまで来たことが分かった時には

ピアノを弾いてゾウ達に危険を伝えていたのです。

どうやら、ゾウ達はピアノの言葉が理解できたらしく

僕の集落の傍らのゾウの群れは、一度も密猟者の犠牲にならずにすんでいます。

 

それからというもの、僕はゾウと語り合っているのです。

姿は見えなくても、ペダルを踏んでゾウの言葉に耳を傾け

聞こえない低音の鍵盤を弾いてゾウに話かけています。

最近では、すぐ近くまでゾウの群れがやってきて

僕の家のそばで大きくいなないて挨拶までしてくれます。

残念ながら、いななきの意味までは理解できないのですが。

その中の、ひときわ大きなリーダーに

僕はインペリアルという名前をつけたのです。

 

君の工房のピアノが、多くの音楽家に愛されてることは

容易に理解できるし、本当に喜ばしいことです。

きっと遠くない将来、君の工房はウィーンを代表することになり

ヨーロッパ中、いや世界から愛されるピアノメーカーに

なってゆくことでしょう。

僕が帰国したら、是非君のピアノを使ったコンサートを

聞きに行きたいと願っています!

感謝と共に アレス・グーテ

                    モーザン』

 

 

 

「敬愛するドクトル・モーザンへ

 

私は、これほど神に感謝したことはありません。

最後の手紙が来てから、もう一年以上が経ちました。

様々な不穏な想像が心を蝕む日々でした。

しかし、あなたが生きている記事を読んで

私がどれだけ喜び涙したか、あなたには分かりますまい。

今は、この手紙があなたに届くことだけを願って

興奮を押さえながらペンを走らせています。

嗚呼、神よ、御加護に感謝致します!

 

あなたの最後の手紙が届いて間もなく

友人が新聞を持って私の工房に駆け込んできたのです。

そこには、あなたが住んでいる地域が、ナイル川の氾濫によって

水没したという衝撃的な記事が載っていました。

私達は、あらゆる手段をつくして、あなたの安否を確認したのですが

結果は残酷なもので、その周辺一帯の住民は

ほぼ全員の方々が亡くなってしまった、というものでした。

 

それからというもの、私も友人も父も

どれだけ悲しい日々を過ごしたことでしょう。

あなたが名付けてくれたインペリアルでコンサートを聞く度に

私達の悲しみは何度も反芻され、せめて天国に召されたあなたに

喜んでもらえるピアノを造ることだけに

僅かな活力を注ぎ込むのが精一杯な日々でした。

 

しかし、今朝の新聞で、あなたが数百マイル離れた街で

生きていることを知ったのです!

どのような経緯であなたが救出されたかは知る由もありませんが

とにかく私達は、神に感謝しております。

そして、あなたが生存しているという事実に狂喜しているのです。

今はただ、お元気になられることを願ってやみません。

いつの日か、お目にかかれる時が訪れることと

更なる神の御加護をお祈りしております

 

                    ルートヴィッヒ」

 

 

 

『親愛なる我が友 ルートヴィッヒ

 

まず、僕は君に感謝しなければなりません。

心配をかけたことを詫びる以上に、君に感謝したいのです。

本当に、本当にありがとう!

 

恐らく、君には何のことか理解しかねるかも知れないけれど

君の造ってくれたピアノの御陰で、僕はまだ生きているのです。

 

あれは雨期に入って、毎日雨が降り続いていた夜のことです。

ピアノのコンディションも悪くなってきており

ペダルを踏み込んだまま元に戻らなくなっていました。

すると、激しい雨の音に負けないくらい

ゾウ達の言葉がピアノから聞こえてきたのです。

今までに聞いたことのない激しい声で

知らない言葉が繰り返されていたのです。

 

それから間もなくして、バリバリという激しい破壊音と共に

インペリアルが、そう、あのゾウのリーダーが家を壊して

侵入してきたのです。

僕は戦慄を憶え驚愕したまま、彼の長い鼻に巻き上げられ

彼の背中に乗せられたのです。

僕の最後の記憶は、そこまででした。

 

次に僕の意識が戻ったのは、陽当たりの良い知らない部屋でした。

清潔なベッドの上で天井をぼんやり眺めていたのです。

アフリカは、部族ごとに言葉が異なるので

僕が何故ここにいるのか、今どこにいるのか、今がいつなのか

理解するのにかなりの時間を費やしてしまいました。

だから、連絡が出来なかったことを許してください。

そして、ここがタンケから500マイル以上は慣れたララウという集落で

あの雨の夜から三ヶ月も経っていたことが分かったのです。

 

親切な集落の人々から言葉を教わって、話を聞けるようになるまでに

更に何週間もの日々が流れていきました。

彼等の話をつなぎ合わせてみると、どうやら僕は、ある朝に

ゾウの背中に乗せられてここへ連れてこられたようなのです。

ゾウの群れは、僕を集落へ降ろすと、東へ去っていったようです。

そして、僕の住んでいたタンケが水没したことを知ったのは

実は、つい最近だったのです。

 

そのような訳で、僕は君に感謝したいのです!

君の造ってくれたピアノのお陰で、僕はゾウ達と親しくなることができ

ゾウ達のお陰で、僕は九死に一生を得ることができたのです。

もし、あのピアノが無かったら、僕は今頃

地中海の藻くずとなり、澱となっていたことでしょう。

だから、本当にありがとう!

 

悲しいことは、仲良くしてくれた村人達が亡くなってしまったこと

多くの動物達も死んでしまったこと

そして、君が造ってくれたピアノも流されてしまったことです。

僕は、彼等の分まで、精一杯生きてゆくつもりです。

 

僕を降ろして以来、あのゾウ達は二度と戻って来ません。

もう、恐らく彼等に会うことはできないでしょう。

何故なら、僕は明日ここを発ち、オーストリアへ帰国することが

可能になったからです!

遠くない将来、君に再開できたら

君の造ったピアノで、あのインペリアルで

今度は遥かなアフリカへ、ゾウの言葉を弾かせて下さい!

それだけが、僕に出来る、君とゾウ達への感謝だからです!

早く君に会いたいです。

 

 

[著者後述]

 

私が好きなピアノの中に

ウィ—ンで造られているベーゼンドルファーがあります。

通常のピアノは88鍵なのですが

ベーゼンのインペリアルというモデルのピアノは

実に97鍵もあり、人間の聴覚では聞くことのできない

20Hz以下の弦が8音もあるのです。

 

そして、私の大好きなゾウは

文中にあるように、低周波で遠くの仲間と

連絡を取り合うという習慣があるそうです。

 

それなので、ベーゼンのインペリアル誕生秘話が

実はゾウとの会話目的だったというフィクションを

思いついた次第です。

 

アイデアから大きな構成は、すぐに出来たのですが

どのようなスタイルで書くか、という点で迷っていました。

そして、二人の手紙のやり取りだけで表現しようと

そう思って書き上げた作文です。

 

文中には、別の物語で登場するアンドレアスという調律師や

友人や後輩の名前を逆さにした地名を刷り込んでみました。

今読み返してみると、3ヶ月もの間

どうやってゾウの背中で生きながらえたのだろうと

自分で突っ込んでしまったりしております…

 

感謝と共に、アレス・グーテ!

 

                     モーザン』

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