真夜中のラジヲ①

「コウモリの三連譜」

 

 

自分の睡眠をコントロールできる能力があったなら

私は もう少し まともな人間になれたような気がする

それくらい 眠りは遠く 午前四時のヒグラシが恨めしい

 

夜な夜な 牛飲を通り越して象飲 いや鯨飲なみのアルコール

こうみえて 私は別に酒など 好きではないのである

ただ意識の強制終了の為に 肝臓と腎臓を犠牲にしているだけなのだ

 

それくらい 夜は恐ろしく 朝は遠い

その代わりと言ってはナンだが

真っ昼間の運転中には 睡魔大王が優しく降臨してくれる…

 

 

翌日の仕事によっては

出来るだけアルコールを控えねばならない夜もあり

そんな時は決まって 日付を越えても 意識に闇は降りてこない

 

最近では ヘッドフォンをして ネットラジヲを聴くようにしている

お気に入りは 韓国のMBC放送や フラメンコ専門放送なのだが

どうしても耳が 言葉や音楽を追いかけてしまい 入眠には適さない

 

それで いろいろ探していたら

幾つかの シュールな放送に辿り着いた

地球の裏側では 奇特なプロデューサーがいるようだ

 

 

Tune88という放送局では 延々とピアノの調律の音を流している

様々なホールの 様々なピアノを 様々な調律師が 

調律している音を 延々と録音して 延々と再生しているのである

 

解説などのMCは 一切入らないのが 心地良いのだが

時々 調律師と ピアニストか あるいはスタッフか

調律を中断して会話している音声も 入っている

 

調律という作業は 全くもって 人それぞれ異なった音とテンポを出す

耳をすましていれば ピアノとマイクの距離も 想像できたりして

どれくらいの空間があるかも空想できて それはそれで楽しい

 

そして 淡々と調律している音は 人に眠気を与えてくれる

私も いたずら坊主がピアノの脇で 歌ったりする家庭に遭遇すると

出来るだけ眠くなるように打鍵して 催眠術師に変身する

 

ある夜 キツツキの様な連打をする調律師の後に

独特なリズムで打鍵する調律音が聞こえてきた

私には 瞬時にそれが誰であるか 理解してしまった

 

 

………………

 

あれは シュトゥットガルトだったか ミュンヘンだったか

ドイツを旅している時に ふらりと入ったフィッシャーという楽器屋があった

閉店間際にも関わらず 親切な店員は中二階の大きな部屋へ案内してくれた

 

そこには ヨーロッパのグランドが ズラリと50台以上鎮座しており

それぞれのピアノが その個性を生かすように調整されており

楽器と技術者の魅力に圧倒された空間だった

 

私は 勝手に大屋根を開け

一台一台 音を出しながら カラカラのスポンジになった

有機的な音に あれだけ種類があるのを初めて知った

 

閉店時間を過ぎても 好奇心の塊の日本人は

図々しくトイレを借り 再びグランドの部屋へ戻ってみると

誰かが調律している音が聞こえてきた

 

それは 東欧系の風貌の 髪の長い若い女性だった

何故か 三連譜で打鍵して 音を合わせていく

こちらに気付くこともなく 体全体で音と対峙している

 

私は しばらく息を殺して 彼女の聴いてる音を探した

オクターブとユニゾンは その微妙な速度の三連打によって

相殺される倍音と 浮き上がってくる倍音があることに気付いた

 

なるほど その最小公倍数の重なりこそが

彼女にとって そのピアノの重心を探る行為なのかと理解した時

ふと打鍵が止まり 彼女は私の存在に気付いて驚きながら凝視してきた

 

私は つたない英語で詫びながら 日本から来た調律師であることを伝えた

警戒を解いた彼女は お互い不器用な英語を駆使して

ほんの少しの間 会話をした

 

彼女はボスニアから来て マイスターシューレで学んでいる学生だった

音楽が好きだった両親の影響で ピアニストを目指していたが

内戦によって 御家族は亡くなり 彼女もケガを負ったという

 

そして 彼女は長い髪をかきあげて そのケガ跡を見せてくれた

その両耳に負った傷の惨状を ここに書くことは出来ない

ただ私の英語の解釈が正しければ それまでの半分の音が聞こえなくなって

それまで聞こえなかった音が 聴こえるようになったと語ってくれた

 

彼女は コンサートで調律をするのが夢だと語ってくれた

いつか ピアニストに貢献できる仕事をしたいと語ってくれた

私達は 小さな握手をして toitoitoiと強く胸を叩いて別れた

 

 

…………………

 

暖か過ぎる熱帯夜

ヘッドフォンから聴こえる 彼女の三連譜

私は 記憶から消えていたはずの邂逅に ヒグラシになった

 

今更ながら 一生懸命 耳をすましてみる

きっと 彼女の聴いてる全ては 私には聞こえない

それでも 一生懸命 彼女の笑顔を想像してみたりした

 

そんなふうに 眠りへ誘うはずのラジヲは

どうやら大失敗してしまったのだけれど

眼が赤かった言い訳は 不眠症のせいにすることが出来た

 ∵ 日 々 創 作  ∴ 時 々 仕 事

 

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10/ 1 作曲#115

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       「細胞分裂

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1/17 動画#68

       「ペンタの大冒険⑭

1/11 アルバム

   「704

1/ 8 作曲#105

      「ソナチネ